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連載 第6回 |
何年か前から、唐津の陶芸家・中里隆さんの邸内にある茶室で八月の中旬に催す、真夏の茶事に参加することになっている。茶室は数江瓢鮎子先生設計の「羽高山房」、ご亭主は中里隆さん……そこまではよいのだが、なぜか正客が私という不思議な配役となっているのだ。 これにはもちろん事情があり、原宿に「重よし」なる料理屋があるのだが、私はそこで数江教一先生にお目にかかった。数江先生は中央大学の名誉教授で日本中世史の研究家、茶人としては表千家、瓢鮎子の名のあるお方だ。この先生と何度か隣合わせているうち、中里邸の茶事に話が及んだ。 私は中里隆さん(ここでは数江先生の存在があるゆえ“さん”付けで失礼します。何しろワタシ慶應義塾大学の卒業で、福沢諭吉先生以外は名誉教授であろうと“君”と掲示板に記される習慣に慣れているので、茶事における我々の人間関係の中で“先生”は数江教一先生のみとすぐに納得してしまうのだ)とは、かなり以前に仕事でお目にかかり、そのキリストを思わせる風貌が目に焼きついていた。 で、「重よし」のカウンターで数江先生に中里邸での茶事へお誘いを受けた。数江先生を大事にする中里さんは、暑い夏には先生を唐津の邸へ迎え入れ、避暑がてら茶事を催しているということだった。しかし、私は茶事のチャの字も知らぬ 身だと辞退すると、「重よし」のご主人のSさんが、「いや隣でワタシの真似をしていればいいんですよ」と、いとも屈託なく言ったのでついうなずいてしまった。 そして茶事の前日唐津へ行き、中里邸へご挨拶にうかがうと、中里さんのうしろから数江先生がいとも上機嫌に顔をのぞかせ、 「いやあ、実はSさんが来られなくなったので、ムラマツさんに正客をおねがいいたします」 と言われた。正客って何ですか……というレベルの私は、唖然として口もきけなかったが、これは当然ユーモアのある数江先生と中里さんの冗談と思い、けっこうお酒をいただいてホテルへ戻った。 朝茶事で午前五時半頃に中里邸へ……ということなので寄付待合へ行ってみると、デザイナーの稲葉賀恵さん、博多全日空ホテル社長の川瀬さんご夫妻がおられた。その場の空気を推し計るに、ゆうべ冗談と思った私の正客が前提になっているらしい。 「あの、ワタシ茶の湯のチャの字も……」 と必死で説明し、正客を代ってもらおうと思うのだが、何をおっしゃいますやら、みたいにあしらわれて、ついに腰掛け待合いへの案内を受けてしまった。 「いや大丈夫、ワタシがいますから」 席入りをすると、そこに数江先生が幽霊のごとく存在し、どうやらいちいちの指示をしてくださる模様。ようやく安心し、操人形のごとく数江先生のご指示に従い、「本席のお軸は?」「御三器の拝見を」「お茶杓の御銘は?」なんぞとやっているうち、四時間半の朝茶事が終った。汗だらけとなったものの、外へ出ると気分が澄みわたり、すでにして茶人の心持になっていた自分が恐かった。 それがきっかけで、中里邸の茶事には毎年、正客として出席するなりゆきとなった。もちろん、幽霊としての数江先生の臨席が前提でありました。 そして、今年もまた夏となり、私は中里邸へと出かけて行った。とにかく幽霊先生の指図に従っていればいいんだから……私は、緊張とゆとり半々に中里邸へ訪れた。 「え! 数江先生がご欠席!」 「いや、ちょっと体調が戻られないので」 「体調ったって……」 「いやいや、ワタシも昨年以来ですから」 中里さんの一年のブランクと、私を一緒にしてもらっては困る……そう焦ったところで事態が変わるわけでないのは明らかだ。 |
私にとって、幽霊先生の存在しない茶室は初めてのことだった。ところが、頼る先生がそこに居られないとなると、何とか自分で筋道を意識するもので、出来不出来など雲の上のことながら、とにもかくにも茶事を終えることができた。考えてみれば、出席するはずの人が欠席することから、俺の茶事体験はスタートしたんだからな……そんな思いが胸のうちに湧いた。 そのあと、中里邸の母屋で宴会となり、今回は料理方に徹した「重よし」のSさんのつくる刺身や焼き魚や煮つけなどを、十分に堪能したのだから、私も心臓に毛の生えたタイプなのかもしれない。しかも川嶋豆腐店のご主人であるKさんが、やんごとないワインなどを持ち込んだものだから、やけにいい気持ちになってしまった。そして、中里邸の宴会で酔っぱらったあと、過去において自分がこなした数々の行状を思い浮かべ、あわてて盃をテーブルに置いた。 何しろ、この家の宴会で、私はかならず失態を演じることになっている。ふだんそのような酔い方をしたことがないのだが、茶事のあとであるせいか、中里隆さんのキャラクターに酔ってしまうのか、とにかく私はやたらに酔っ払うのだ。 ま、それもこれもふくめた唐津行きなのだから……最後はいつもそんな結論となって無反省のまま帰京し、来年もまた中里邸へやって来るという、何だかそらおそろしい習慣であります。 |
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1940年、東京都生まれ。慶應大学文学部哲学科卒業。出版社勤務を経て、
文筆活動に入る。1982年『時代屋の女房』で第87回直木賞受賞、
1997年『鎌倉のおばさん』で第25回泉鏡花文学賞受賞。
主な著書に『私、プロレスの味方です』『上海ララバイ』『作家装い』
『アブサン物語』『俵屋の不思議』『力道山がいた』『アブサンの置土産』など多数ある。演劇、スポーツに造詣が深く、活動のフィールドは広い。 |
