逆さメガネの好奇心 連載 第7回

加害者のスズキさん

 ひと月ほど前、無線タクシーを呼んで家を出て、高井戸から高速道路へ上ってみると、永福あたりからの断続渋滞が、六キロくらいつづいているという標示があった。その日は、芥川・直木賞の授賞式とパーティーがあり、それに出席するのが目的だったが、その前に会場である東京会館のロビーで、NHKのラジオ番組担当者と打合せをすることになっていた。
 四時半という約束だったが、高速道路にこのまま乗っていたら、あきらかに遅れてしまうと判断し、私は幡ヶ谷で降りて甲州街道から西参道へ入り……という高速の渋滞を避けるいつものコースを行くことに決めた。そこで前へ身を乗り出し、
 「幡ヶ谷で降りて西参道、そのあとは高速道路沿いに千駄ヶ谷へ出て……」
 と運転手さんに道を指示したあと、すっとからだをうしろへ戻した。そのとたん、強烈な音がしてからだに衝撃が伝わった。渋滞中であったから大事に到らなかったが、うしろの車に追突され、前の車に追突するという……いわゆる玉突事故に遭ってしまったのだった。強烈な音が二度ひびき、からだが宙を泳ぐようになったのを憶えている。
 「大丈夫ですか……」
 運転手さんが、恐るおそる私の方をふり返って言った。
 「大丈夫、大丈夫……」
 私は、手を振って笑いながら答えた。本当に大丈夫だったのだ。うしろにからだをあずけていたら、追突のショックでムチ打ち状態が起ったにちがいなかったが、からだの中心があいまいに浮いている瞬間だったので、衝撃が逃げたというのだろうか。運転手さんは力士を思わせる体型の巨漢で、これもからだに異変がない様子だったが、いま起ったことをつかみ取るまでには、やや時間がかかったようだった。
 「何やってんだよお!」
 と運転手さんが車の外へ出たときは、うしろの車の運転をしていた人が、頭を下げながらあわてて近づいて来ていた。その人は、
 「大丈夫ですか? 大丈夫ですか?」
 と運転手さんと私にあやまったり問いかけたりしていた。温厚そうな中年の男性だった。
 「大丈夫、大丈夫……」
 私が、さっき運転手さんに向けたのと同じ顔をつくると、その人は少し安心したようにうなずいていた。
 私が乗った車に追突された前の車の運転をしていた人も、不機嫌そうに外へ出てズボンのポケットに両手を突っ込み、(よお、どうなってんだよお!)てな顔になっていたが、何しろ警察が来なければ話にならない。
 そのうち、運転席のカー・ラジオから「ただいま、高速道路四号線の笹塚附近で、三台の乗用車が関係する追突事故があり、高井戸から新宿方面に向って四キロの渋滞となっています」という放送が聞えてきた。私は、これまでタクシーに乗って、このような放送を何度耳にしたか分らないが、その放送の中に自ら登場したのは初めてのことだった。
 (四キロの渋滞か……)
 気がつくと、前方はすでにスイスイと走っている。うしろをながめると、たしかに“四キロの渋滞”といった感じで、私が乗った車のところから流れはじめているのだ。うしろからやって来た車は、渋滞にうんざりしながらノロノロと走ったり停ったりしたあげく、「こいつらが原因だったんだよ……」と、舌打ちしながらいったん停って私の方をながめてから通り過ぎて行く。
 追突した車の主は、何度も私にあやまっていたが、私はあいかわらず「大丈夫、大丈夫」をくり返し、運転手さんが呼んでくれた代車に乗って、その場をあとにした。
イラスト
 四時半の約束には三十分ばかり遅れてしまったが、遅れた理由はいわば“必殺の理由”であり、相手がむしろ恐縮して、「で、大丈夫なんですか?」と心配するありさま。そして、私はその人に向っても、「大丈夫、大丈夫」をくり返したのだった。
 そのときは“大丈夫”でも、“後遺症”というのがあるから油断できない……そう思ったものの、一日経ってもその兆候はまるであらわれなかった。翌日の午後、まずタクシー会社から電話があり、何かあったらすべてこちらで処理するので連絡を、と言われた。その電話を切って十分くらいあとだったが、また電話が鳴った。
 「もしもし、あの、ワタクシきのうの事故の“加害者のスズキ”と申しますが……」
 「ああ、きのうの……どうも、どうも」
 「あの、いかがでございましょうか、おからだの方は」
 「いや、何もありませんので」
 「しかし、後遺症ということもございますので、何かありましたら……」
 「いや、さっきもタクシー会社から連絡があってそう言われたんですが、実はあのときワタシのからだの重心がですね……」
 私は、追突の瞬間のありさまを刻明に話し、またもや「大丈夫、大丈夫です」と言って電話を切った。それにしても、“加害者のスズキ”という名乗り方に、その人の誠実さがあらわれていた。
 それからしばらくして、一通の封筒が届いた。送り主は“加害者のスズキ”さんで、詫びの文章とともに、レストランのパンフレットが入っていた。“加害者のスズキ”さんは、国立にあるレストランのオーナーだったのだ。そして、そのレストランは、戦艦「赤城」の艦長であった野島新之丞氏の邸宅を、昭和の初期に建設された外観をそのまま残して店としているらしい。
 “加害者のスズキ”さんは、その店を父親から引き継いだ現在の当主というわけだ。店の名は「ル・ヴァン・ド・ヴェール」、この店を私がおとずれるのはそう遠いことではあるまい。しかし、人の知り合い方にも、いろいろとあるものだ。
   
村松友視(むらまつ・ともみ)
1940年、東京都生まれ。慶應大学文学部哲学科卒業。出版社勤務を経て、 文筆活動に入る。1982年『時代屋の女房』で第87回直木賞受賞、 1997年『鎌倉のおばさん』で第25回泉鏡花文学賞受賞。 主な著書に『私、プロレスの味方です』『上海ララバイ』『作家装い』 『アブサン物語』『俵屋の不思議』『力道山がいた』『アブサンの置土産』など多数ある。 演劇、スポーツに造詣が深く、活動のフィールドは広い。



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