荒れ過ぎてはダメだし、平穏な日々が続いている場合も良くない。ようは釣行するタイミングが大切なのだ。天下にその名を轟かせている名人、達人でも、釣れるタイミングをはずすとただの人、そう簡単に魚は釣れない……。 日曜、祭日、平日などの日程に関係なく、魚が釣れる可能性がより高い時に釣りに出かけることがもっとも大切、技術は二の次なのだ。釣行した日が偶然、釣りに良い条件であれば問題はないのだが、そうでない場合は、さっさとあきらめる気持ちが大切。そういう時は温泉にでも入って、どこかで旨いソバでも食べて帰る勇気と決断が必要だ。 しかし、海や河や湖が近くにあり、いつでも釣りができる環境にある、いわゆる地元の釣り師ならともかく、魚の釣れる良い条件に関係なく、日曜、祭日にしか釣行できない「サンデーアングラー」にとっては、その日が釣りに良いのか悪いのかなど関係ない。 深夜の高速道路のSAなどでは、その服装などからして一目で釣り師だなと、わかるお父さん達の一団と出くわすことがよくある。中にはどこかの釣り具メーカーのキャップの顎ヒモをきりりとしめて、目がつり上がり、気合十分の人物もいたりして、その雰囲気に圧倒されてしまう。彼らの戦いはすでに始まっているのだなと、遠まきに眺めて、ニヤリとほくそ笑んだりしてしまう。 高速道路を走り、さらに船代やボート代、エサ代を支払う趣味の釣りといってしまえばそれまでだが、結果 的にはお父さんの釣る魚の一匹単価はかなり高額なものになる。 俗に魚釣りは運、勘、根の三位一体といわれるのだけれど、お父さん達の釣りに取り組む姿は純粋で真剣そのものなのだ。 しかし、目的地に着いてはみたものの海が荒れて出船できなかったり、堤防がうねりで波をかぶっていたり、河が増水でメコン川のように真っ茶色だったり、強風で湖の桟橋に係留してあるボートがすべて陸にあげられてあったりして、お父さん達は言葉を失ってしまう……。 そんな自然条件の良くない時に無理をすると大失態を演じ、関係者などに対して大変な迷惑と負担をかけてしまうことになる。漁師や釣り師達の間には、俗な表現で「うさぎが飛ぶ」といういい方がある。 低気圧や梅雨前線などが近づいてくると、次第に天候が荒れ出し、風雨が強くなり、それまでの穏やかだった水面 が徐々に波立ち始め、波頭が白く砕け散るさまが何匹ものうさぎが飛びはねる様子に似ているところからいい現わしたものだ。 そんな日は、釣り日和どころか、最悪の条件といわざるを得ないのだ。そして、あの日の午後もそうだった。うさぎが飛び始めていたのだった……。 湖のルアーフィッシングを始めて5年ほど、30歳を過ぎた頃だったと記憶している。当時、3月の解禁から10月の禁漁までのあいだ、友人数名と毎週のように、ある湖に鱒釣りに出かけていた。入れ込んでいた、などという表現ではいい現わせないほどで、何に触発されてそうなったのか、とにかく阿呆に近い状態であった。 |

| 釣果に一喜一憂したのだ。なぜ釣れるのか、なぜ釣れないのか、寒過ぎるのか、暖か過ぎか、水温が高いのか、低いのか、風が吹いたほうが良いのか、雨が降れば良いのか、そうではないのか、晴れなのか、曇りなのか。釣り師の想像はとどまることがなかった。想像の果
てに、憂鬱と焦燥に襲われ、苦悶したりもした。 そして、ある早朝、朝モヤが湖面を静かに流れている中に一人でボートを浮かべ、ルアーをキャストしていると、黎明と静寂の向こう側に何となく自分が求め、苦悶してきたものの正体がかすかに見えた、と想える瞬間があった。確かに、何かが解ったと思ったのだ。 それからしばらくのあいだは、釣行すれば必ず満足のいく釣果を得ることができた。自信に満ちていたはずだった。 それは7月頃だったと記憶している。ある時、釣友と二人で朝モヤの湖に10馬力のエンジンボートで出船した。トローリングでブラウントラウトやニジマスが面 白いように釣れた。湖の中央でも岬回りでも、ワンドの岸沿いを流しても、二人は自信満々だった。おそらく、その日は魚がはしゃいでいたとしか想えなかった。
昼食を取りに一度ボート屋さんに戻ったあと、午後、再び出船した。出船まぎわにボート屋の主人が我々二人にこういった。 「低気圧が近づいているから、湖の南側に行き過ぎると風が強く、桟橋に戻れなくなるから注意してくれ」と。その言葉を軽く聞き流して、かすかに波立ち始めた湖に出船したのだった。 しかし、それから一時間もしないうちに我々二人に最悪の事態が襲いかかった。油断していたのだ。気がついた時には、湖面 は大きく波立ち、うさぎが飛び始めていた。エンジンのスロットルを全開にしても、ボートはコントロール不能となり、それでもなんとかボートを風下に向け、木の葉のように波間に漂いながら岸辺をめがけ移動させた。 徐々にボートは浸水をはじめ、岸まであと20mほどの地点まで来た時、完全に水面下に没したのと同時にボートから水中に飛び降りた。しかし、幸運にもそこは遠浅だった。濡れネズミのままボートを岸に引きずりあげ、エンジンをはずし、釣り具をかたづけたあと、ボートを俯せにして岸辺の杉の木にロープで括りつけた。 二人は無言で顔を見合わせた。体の震えが止まらない。危ないところだった、間一髪だった、命拾いをしたと……、そして、ボート屋の主人の顔が目に浮かんだ。大変なことになってしまった。もう釣りどころの話ではなかった。 命からがら二人が上陸したところは、周囲が20kmほどある山上湖の、人家のまったくない側の岸辺であった。そこは岸辺から少し奥に入った森の中に、湖に沿って細い道が一本あるだけだった。とにかくタックルボックスやロッド、そして、捨てるわけにはいかない釣り上げた鱒をストリンガーにぶらさげて、ボート屋のある北側へ向け歩くしかなかった。 リアス式海岸のようにいくつもの岬が突き出ていて、いくら歩いても人家も現われてこなかった。ズブ濡れの体に釣り具や魚がずしりと重くのしかかり始めた。いつしか夏の陽も落ちて真っ暗闇となり、足元もおぼつかなくなった頃、やっとのことで湖の水門小屋の明かりが木々の間に見えかくれしてきたのだった……。 水門番の番人に事情を話して電話を借り、ボート屋へ電話を入れた。しかし、受話器をにぎっている間、また新たな事態がボクを襲った。番小屋で飼っている大型の番犬、シェパードがボクの体に噛みついて、着ている雨ガッパやズボンまでもをズタズタに引き裂いてしまい、何ともなさけない姿になってしまったのだ。 電話の向こう側では、生きていたぞ、大丈夫だぞ、と喚声のあがる声が聞こえていた。 |
| ●うちだ・すすむ 1947年、静岡県生まれ。日本大学芸術学部美術科卒業。 日本における魚のイラストレーションの第一人者。 美術出版社やグラフィック社から画集を出版。 アメリカ・モンタナ州にあるフライフィッシング博物館に、日本人で唯一の作品が所蔵されている。 平成11年、NHK BS放送で西山徹氏との九頭竜川での サクラマス名人対決が放送され話題となる。 魚を描くには、釣る!! 見る!! さわる!! が一番大切だと思っている。 東京イラストレーターズソサエティ(TIS)会員。 |
