第78回稚内[北海道稚内市]
稚内


万葉歴史館。高岡は奈良、飛鳥とならぶ万葉の故地
富山湾に面した海岸線に出ると、晴れた日は、標高3000m級の立山連峰の大パノラマが、まるで海上に浮かびあがるように一望できる。この取材の旅では残念ながら、それを望むことはできなかった。しかし、昔の面影を残す家並みに吹く万葉の風を十分に味わうことができた。「万葉集」といえば誰もが飛鳥や奈良を思い浮かべる。しかしこの高岡をはずすわけにはいかない。高岡市伏木の地は、奈良時代に国府が置かれていた。その国府に「万葉集」の代表的歌人である

越中国守館跡に建つ伏木特別地域気象観測所
大伴家持が5年間、国守として赴任していた。天平18年(746)、家持29歳の時であった。万葉集全歌4516首のうち作者がわかっている歌のベスト5は家持479首、坂上郎女84首、柿本人麻呂84首、大伴旅人78首、山上憶良76首で、家持が断トツである。家持が越中の地を詠んだ歌だけでも220余首もある。「玉くしげ二上山に鳴く鳥の声の恋しさ時は来にけり」家持が奈良の二上山と同字の高岡の二上山に望郷の念を抱きながら詠んだ歌に実感が湧いてきた。


写真

写真 高岡が「銅器の町」ということは意外と知られていない。銅鋳物製品の生産シェアは全国の90%を占め、世界でも有数の銅器の町なのだ。その歴史は古く、17世紀初めに高岡城を築いた加賀2代藩主・前田利長が、町おこしの産業として市内の金屋町で鋳物工場を奨励し、日本でも初めての「鋳物発祥の地」となったのである。金屋町は、当時のたたずまいである千本格子の家並みをいまも残している。旅人は、本町通りの土蔵の町とともに歴史の風情をたっぷりと味わうことができる。そして、高岡市は万葉の町でもあった。JR高岡駅前に建つ万葉の代表的歌人・大伴家持像は町のシンボルだ。

風光明媚な海岸線にも
歴史ドラマが続く


 高岡は富山県の北西部にある。北は富山湾に面していて、小矢部川の河口に伏木港がある。
 歴史は古く、『正倉院文書』には、この地方が東大寺の荘園(私有地)であったことが記録されている。また伏木には、越中国府・国分寺が置かれ、この地方の政治・文化の中心地であった。
 『万葉集』で有名な歌人・大伴家持が、その越中国守として天平十八年(七四六)から五年間、ここに赴任してきている。家持二十九歳のときである。
 『万葉集』は日本の古典中の古典であることは知っているが、柿本人麻呂や山部赤人、山上憶良など代表的な歌人の名をなんとかあげられても、諳んじて愛誦するほどにぼくは親しんではいない。せいぜい中学や高校の教科書ぐらいの知識のままだ。本当にマンヨウシュウと読んでいいのか、マンニョウシュウと読むべきなのか、それさえもわかっていない。
 とはいうものの、越中国庁跡に万葉の旅を求めて訪れた旅人は、まず高岡市の駅前に建っている大きなブロンズ像を見上げるところからスタートする。

 物部の 八十少女らが 汲みまがふ
 寺井の上の 堅香子の花  大伴家持

 像は、かたかご(かたくり)の花を摘む童女二人の脇に立つ家持である。
 市街から北へ数キロ、小矢部川が富山湾へそそぐ河口に位置する二上山東麓の河岸台地、伏木町古国府の地一帯が越中国庁の跡といわれる。
 その国庁跡に建つ勝興寺。
 承久の乱(一二二一)で佐渡に流された順徳上皇の第三皇子、成彦親王が親鸞(一一七三〜一二六二)に帰依し、善空房信念と称し、佐渡の地に一宇(寺)を創建、上皇から殊勝誓願興行寺の勅号を得たのが、当寺の起こりという。
 現在の境内は約三万三千平方メートル。中世風の豪壮な伽藍を持つ二十四間(約七十九メートル)の本堂、そして、本堂前に建つ唐門(四脚門)とも国の重要文化財なのだが、残念ながら平成十一年からの保存修理工事中であった。
 かつての越中国府は、現在の勝興寺境内を中心として二百メートル四方にあったと推定されている。そして、その門前にある「伏木特別地域気象観測所」が国守館址になる。
 「東館」という名が残るこの場所は、真下に射水川(現在の小矢部川)がとうとうと流れ、眼前に有磯海、雪をいただく立山の峰々を望む景勝の地であったことが「万葉集」からはうかがえる。

 朝床に 聞けば遥けし 射水川
 朝漕ぎしつつ 歌ふ船人 

 これも家持の歌だが、いまは目と鼻の先にあるはずの伏木港も、立ち並ぶ人家や工場にさえぎられていて眺めることはできない。
 JR氷見線「伏木」駅から二十分。気多神社の境内に大伴神社がある。家持没後千二百年を記念して昭和六十年(一九八六)に建てられたものだが、万葉故地めぐりの旅をするなら、やはりここもお詣りしておきたい。


【1】伏木北前船資料館。市内で唯一望楼が残されている廻船問屋の旧秋元家住宅。北前船の通商で栄えた伏木と周辺の村々の歴史資料が展示されている。
【2】瑞龍寺の仏殿。石灯籠の並ぶ八丁道を西へ進むと緑濃い寺域が突然現われる。古びた総門をくぐると威風堂々の山門、仏殿、そして法堂に圧倒される。加賀3代藩主・前田利常が1659年、高岡の開祖である前田利長の菩提寺として建立した。仏殿の瓦屋根は銅製であるが、第2次大戦中の供出からまぬがれた。平成9年、法隆寺以来の国宝指定に。
【3】歴史上で奈良、鎌倉に次ぐ日本3大仏に数えられる高岡大仏。伝統の銅器製造技術の粋を集め、30年の歳月をかけて完成した。高さ15.85m。
【4】越中国守館址の碑。いまも東館(ひがしだち)の地名が残る高台に大伴家持が住んだ国守館があった。現在は伏木特別地域気象観測所が建っている。
【5】小矢部川の彼方に国定公園二上山を望む。名のとおり、2つの峰を持つ標高247mの小高い山。家持は、奈良の二上山と同字のこの山を、朝夕眺めては都に望郷の念を抱いたのだろう。多くの歌が残されている。
【6】重要文化財の武田家住宅。武田信玄の弟信綱の末裔(まつえい)と伝えられた家柄で、この地方特有の屋根形式が約200年の歴史を刻んでいる。
【7】勝興寺。北陸路には巨刹が多いが、勝興寺もその一つ。奈良時代の建立で、室町時代に井波の瑞泉寺とともに一向一揆の拠点になった。勝興寺のある伏木には越中文化の発祥の地ともいうべき国府が置かれ、奈良時代、大伴家持は国守として5年間在任し、政治を司りながら多くの歌を詠んだ。

世界有数の銅器生産の町は
千本格子と蔵造りの家並み


 伏木港に戻り、西へ女良、雨晴、放生津、生地と風光明媚な海岸が続く。この海岸を総称して有磯海といい、家持もしばしば訪れたところだ。
 富山湾をはさんで東に立山連峰、西に能登半島を一望する白砂青松の景勝地だが、今日は晴天すぎて水蒸気が立ち昇り、沖合の見通しが悪かった。

 馬並めて いざ打ち行かな 渋谿の
 清き磯廻に 寄する波見に

 家持が馬を連ねて訪れた渋谿が、雨晴海岸である。松尾芭蕉の句にも、
 早稲の香や 分け入る右は 有磯海
 がある。二上山の山裾が海に落ちこむあたりが雨晴海岸である。JR氷見線の線路を右にひと跨ぎすると、そこはもう白い砂浜になる。
 源義経主従が奥州落ちの時、海岸にいまも残っている巨岩(義経岩)の下で、雨が晴れるのを待ったといういい伝えから、雨晴海岸の名がついた。
 そういえば、伏木駅のそばに小矢部川を渡る渡舟がいまもあるが、これを「如意の渡」と呼んでいる。文治三年(一一八七)、奥州へ落ちる義経一行が渡守に怪しまれ、弁慶がとっさに扇で義経を打ちのめすという、歌舞伎「勧進帳」そっくりのやり取りがあったところで知られる。
 こうして家持と万葉ゆかりの地を一つ一つ追っていくと、いくら時間があっても足りない(「越中万葉歌碑」を見るだけでも三十八ある)。そして、町の中心部、金屋町の千本格子の家や、小馬出町、木舟町、守山町の土蔵造りの町並みの昔ながらの姿も趣きがあり、ぜひおすすめしたい。
 金屋町は、約三百九十年前に加賀二代藩主・前田利長が、高岡の繁栄をはかるため鋳物師を招いて生産を奨励したのが町の始まりであり、いまでも高岡の代表的地場産業となっている銅・鉄器製造の基礎を築いた。高岡銅器はいま、全国シェアの九十%を占めるという世界でも有数の産地だ。
 そして、その高岡銅器のシンボルとでもいえるのが高岡大仏。高岡工人三百年の伝統が傾注され、昭和八年(一九三三)に完成した。奈良、鎌倉とともに日本三大仏といわれる。
 あらためて前田利長ゆかりのコースで高岡をゆっくり歩き直したい。それも出来れば、五月一日の高岡御車山が町を曵き歩く祭りの日に、ぜひ来てみたいものだ。



【8】守山町から小伝馬町へと続くかつての北陸道に、いまも土蔵造りの家々が56軒も残る。明治時代の優れた防火建築。【9】はその代表的建築の筏井家。
【10】金屋町の千本格子の家並みは延々と続く。約390年前に、加賀2代藩主・前田利長が高岡の繁栄をはかるため鋳物師を招いて生産を奨励したのが町の始まりで、地場産業である銅、鉄器製造の基礎を築いた「鋳物発祥の地」。いまも当時の面影を残す歴史的遺産の家が立ちならぶ。
【11】大正4年、高岡共立銀行本店として建てられたもので、現在も現役の銀行として使用されている。
【12】小矢部川河口の「如意の渡し」。奥州へ逃げ落ちる義経一行が渡守に怪しまれ、弁慶が義経をさんざん打ちのめし、無事にこの渡しで難を逃れたという。いまも対岸に住む人たちの貴重な公共交通だ。
【13】雨晴(あまはらし)海岸。白い砂浜と松林の海岸に源義経伝説を残す日本の渚百選の一つに選ばれる景勝地。晴れた日は、海の上に立山連峰が浮かぶ。
【14】高岡古城公園。2代藩主・利長が築城した高岡城は大坂夏の陣後廃城となり、いまは市民の憩いの場。


アクセス
●東京首都圏からは東京駅から上越新幹線で越後湯沢駅下車、ほくほく線、北陸本線経由で3時間19分。車なら関越自動車道で長岡JCTから北陸自動車道に入り、小杉ICで降りて約6時間。
●関西圏からは大阪駅から湖西線、北陸本線特急で高岡駅下車2時間53分。車なら名神高速道路・吹田ICから米原JCTで北陸自動車道に入り、砺波ICで降りる。約3時間40分。
●富山空港からは高岡ゆき高速バスで1時間40分。●市街地散策は徒歩で。高岡大仏〜古城公園〜瑞龍寺コースが一般的。伏木方面は加越能鉄道を利用する。
●お問い合わせ先tel高岡市観光物産課0766(20)1301


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