富山県黒部ダムの北西、標高2700メートルに内蔵助谷というところがある。そこには厚さ20メートルの日本一古い万年雪がある。最近、その万年雪にクレバスのような大きな穴があいているのが見つかった。
 富山大学の調査グループがこの穴の中に入って調べたところ、西暦300年頃に降り積もった雪が、長い年月を経て圧縮されて出来たものだということがわかった。
 西暦300年頃といえば邪馬台国の卑弥呼の時代だ。その時の雪が氷となり、1700年後の今日、溶け出し、地下水となって黒部川に注ぎ込んでいたのだ。
 その清流の中でいま、この瞬間も、氷河期の遺物ともいうべき神秘に満ちた岩魚たちが生き続けてきたかと思うと、古代の歴史ロマンを感じてしまうではないか。しかし、そんなに単純なことではすみそうもないから厄介である。
 黒部ダムがとっているデータによると、年間の降水量はこの20年間ほぼ一定している。その一方で、降雪量は確実に減少しているという。それが動植物にも少なからず影響を与えている。さらに酸性雨や台風にやられた木々と、それにともなう土砂崩れなどが、黒部川の清流に生息する岩魚に悪い影響を与えているらしいのだ。
 そして、天候の異変は雪の降り始める時期までずらしてしまうらしい。しかも、雪の降った後にまとまった雨が降ったりすると沢は濁流となり、産卵のためにダムから遡上した岩魚が傷ついたり、死んだりしてしまう。
 当然、産みつけられた卵は流され、死んでしまうことになる。太古さながらの自然が残されている秘境黒部にも、地球環境の変化は確実に起き始めていたのだ。
 ぼくがよく行く神奈川県箱根の芦ノ湖でも、釣りが解禁になる3月上旬の湖の表面水温が、以前よりも平均で2度ほど高めに推移している。巨大岩魚の生息することで知られている福島と新潟の県境にある奥只見湖(銀山湖)では、ぼくが湖に通い始めた20歳後半の頃に比べると、たしかに湖岸の雪が消えてなくなる時期が早くなり、その結果、湖の水温の上昇が早まっているのを肌で実感している。
 そして、今年のように梅雨らしいまとまった降雨もなく、草木はもちろん、湖や河は渇水で乾き出し、さらに灼熱のごとき日照りの夏が続き、待望の降雨と思えば大型台風の上陸と、これでは宮沢賢治ではないけれど、ただただオロオロとしてしまうのだ。
 魚たちはどうしているのだろうか、このままでは日本中の自然と生き物たち、河や湖は大丈夫なのだろうか、そして10年後、20年後の魚たちは、釣りはどうなっているのだろうかと、ふと考えたりするのです。

 地球上に生命が誕生して何億年か、生き物たちはそれぞれの環境に順応して今日まで進化し続けてきた。氷河期から何万年かの時を超えて、黒部の源流に密やかに生き続けている岩魚たちも神秘とロマンに満ちているが、地球の面積の7割をしめる広大な海のどこかには、生きた化石と呼ばれる真に奇跡の怪魚ともいうべき生物が今日も生息している。
 その名はシーラカンス。誰でも一度や二度聞いたことがあるはずだ。そのシーラカンスを描いてほしいという依頼が、10数年前であるが、ぼくのところに来た。今年のように暑い夏の盛りだった。
卑弥呼の氷河
  連載 第22回
  イラスト

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 魚のイラストは、ふだんは釣り関係のメーカーや出版社などから依頼されるのが常であるが、仕事の発注者が「日本シーラカンス学術調査隊」と聞かされた時は、何ごとかと少々驚いたのを記憶している。
 当時の新聞に、日本の調査隊がインド洋上のコモロ諸島でシーラカンスを生きたまま捕獲することに成功。これは歴史的快挙であり、なおかつシーラカンスが自由遊泳する様子を、世界の各国調査隊に先がけて撮影することに成功したのは、特筆すべき出来事であることが報じられていた。
イラスト
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 後日、イラストの打ち合わせに指定された場所に出かけた。都内にある某有名私立大学の敷地の一角にある、17〜18世紀頃のヨーロッパの建築様式を取り入れて建造されたらしい古びた建物の中にある一室だった。
 ぼくは緊張した面持ちで、その部屋のドアをノックした。部屋の中はいかにも歴史のある大学の研究室というふうで、中央に木造の時代がかった大きなテーブルがあった。そして、三人の学者風の人物がぼくを待っていてくれたのだった。
 彼らは、日本の調査隊がシーラカンスを生け捕ることに成功したことは20世紀の自然科学史上の快挙であり、地球上の生命生存の原理を考察する手がかりとして、また、大自然の摂理の尊さ、偉大さを改めて感じるのだとか、何とかかんとか、一方的にぼくに説明してくれた。
 といっても話の仕方が、大学でのいかにもつまらない講義のようで、日本のインディ・ジョーンズ博士に違いないであろう三人の大先生の話につき合うのは正直、退屈だった。
 いつになったらイラストの話になるのだろうかと、シビレをきらし始めたぼくの気持ちがわかるかのように、冷房のほとんどきかない部屋で、天井のプロペラ扇風機がけだるそうに回っているのだった。
 長い長い講義が終わると、ようやく「今度は内田さんにもシーラカンスが自由遊泳する様子をご覧いただき、イラストを描く時の参考にしていただきましょう」と、いかにももったいつけた態度でいう。
 しかし、長い退屈な講義の後で見せられた映像にはビックリ仰天だった。言葉を失ってしまった。新聞紙上でその映像の存在を知ってはいたものの、生きたシーラカンスが、水中を泳ぐ20分ほどのフィルムに映し出されている姿は、奇跡としかいいようのないものであった……。
 図鑑でしか見ることのできない生きた化石が、生命の歴史と時間のタイムトンネルをくぐり抜け、ぼくの眼前にその姿を現わしたのだから仰天するのは当たり前だ。
 貴重な、本当に貴重な体験をすることができた。映像は三人のジョーンズ博士のどんな言葉よりも、説得力と迫力と圧倒的リアリティで迫ってきた。
 そして、その日から2カ月ほどかかってシーラカンスのイラストを描き上げた。先方からは、すばらしい完成度だとえらく感謝され、「世界でもっとも正確で、かつ細密なシーラカンスの図版です」とひどく評価してくれた。
 生きた化石シーラカンスは、いまも人間の手のとどかない深海の底で生き続けている。これも卑弥呼の氷河に匹敵する歴史ロマンではないか。


●うちだ・すすむ
1947年、静岡県生まれ。日本大学芸術学部美術科卒業。
日本における魚のイラストレーションの第一人者。
美術出版社やグラフィック社から画集を出版。
アメリカ・モンタナ州にあるフライフィッシング博物館に、
日本人で唯一の作品が所蔵されている。
平成11年、NHK BS放送で西山徹氏との九頭竜川での
サクラマス名人対決が放送され話題となる。
魚を描くには、釣る!! 見る!! さわる!!
が一番大切だと思っている。
東京イラストレーターズソサエティ(TIS)会員。

魚イラストのHPを開設しました。ご覧ください。
http://www.uchida-fish.jp
MAIL S.fish@dream.com



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