新旧街道図会
21世紀の東海道2


跡碑だけが残る
川崎宿から神奈川宿まで
むかし懐かしい味を楽しむ
 「六郷の渡し」は、東海道が制定された当初は木の橋が架けられていたが、一六八八年(元禄元年)の洪水で流されてからは舟渡しになった。
 ここから、日本橋から二番目の宿場、川崎に入る。
 川崎市は、東海道宿駅制定四百年記念として、今年五月一日から六日の間、江戸文化展、歴史時代行列、江戸芸など「大川崎宿まつり」を開催した。
 そのなかで興味をひいたのは、六郷の渡しと、渡し場にあった茶屋「万年屋」の再現で、名物「奈良茶飯」をふるまってくれるという。そこで会期中の一日、川崎宿跡を訪れた。
 旧街道ウォークがブームということで、ハイキング姿の中高年グループの人たちと、アマチュアカメラマンが大勢きていた。旧道沿いにはノボリが立てられ、これまた名物の米まんじゅうを売っていたのでそれを買い、ついで宿場マップをちょうだいした。
 六郷の渡しに行ったが、渡し舟は土、日曜日だけで当日はなし。二隻の櫓舟でギイコギイコと六郷川(多摩川下流域の別名)を渡るイベントであったが、まことに残念。
 茶屋の万年屋は、六郷の渡しの川崎側にあったそうだが、イベントとしての再現場所は宗三寺門前だった。
 映画のオープンセットよろしく建てられ、実行委員の人がメガホン片手に、にぎにぎしく呼び込みをしていた。お昼には早かったが、昼時は混雑するというので早めに入った。
 目当ての「奈良茶飯」五百円は、茶で炊いた飯に大豆、小豆などを混ぜたものに、しじみ汁と奈良漬けがつく。素朴な味だった。煮しめなどのおかずがつくのもあったようだ。
 奈良茶飯は名称からもわかるように、発生は奈良東大寺であるが、浅草金竜山の門前の茶屋で出したところ人気が出て、川崎の万年屋でも出すようになり、旅人の間で評判を呼んだのだという。
 米饅頭は鶴見の名物だ。餅米粉からつくった皮に、小豆こしあん、白小豆あん、梅あんのそれぞれを入れた三種類を売っていた。あっさりとした甘味で、三つも食べてしまった。鶴見橋の付近に、この饅頭を売る店が多くあった、と江戸名所図会に記されている。現在は、かながわ名産百選に選ばれている。
 川崎が発生の地という味がもうひとつあった。長十郎梨である。
 最近は豊水、幸水におされて見かけなくなったが、三十年ほど前は超人気の品種であった。明治中期、大師河原村の当麻辰次郎さんがつくった新種の梨で、当麻さんの屋号をとって「長十郎」と名づけられた。現在、このあたりには梨畑はなく、多摩川の中流域へ移っている。
 川崎市内から旧東海道筋を歩いて神奈川宿跡まで行ったが、田中本陣跡をはじめ跡碑ばかり。強いていえば鶴見市場西中町にあった一里塚で、むかしは街道をはさんで両側にあったが、いまでは南側に塚だけが残っている。
 鶴見川橋西詰にある関門旧跡は、生麦事件後もつづいた攘夷派浪士取り締まりのために置かれた番所のひとつ。その生麦事件碑は、生麦一丁目の東海道沿いにあった。
 神奈川宿の中心は滝丿川あたりで、川をはさんで両側に本陣があった。
 やはり跡ばかりであるが、開港当時の遺跡が多いのが特徴だ。長延寺はオランダ領事館跡、慶運寺はフランス領事館跡、本覚寺はアメリカ領事館跡、甚行寺はフランス公使館跡、善門寺はイギリス士官宿舎跡、宗興寺はローマ字で有名なヘボン医師の施療所跡である。


イラスト
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