逆さメガネの好奇心 連載 第18回

ケイタイ流言葉遣い
 携帯電話の大流行が、私たちの生活感覚や習慣に、思いもかけぬ混乱を与えている件については、以前にも書いた。ケイタイが鳴ってバッグから取り出した中年男が、苦々しくそれを耳に当てたあと、「おう、おまえよくここが分ったな」と叫んだのなんか、その代表例と言ってよいだろう。“何処か”へかける電話が“誰か”にかける電話に切り換ったことも知らずにケイタイを使用している……そんな混乱の風景であった。
 また、ケイタイ流行後の他人との約束の仕方は、以前と微妙にちがってきている。つまり、場所の指定がきわめて漠然としてきたのだ。以前ならば、「駅の西口改札口を出た左側にある掲示板の前」とか、とにかく約束の場所を限定したものだった。
 ところが、お互いにケイタイを携帯している者同士の約束の仕方には、場所の限定がない。いや、あったとしてもあまり重点をおかれていないのであり、大雑把に約束した場所に近づいたら、お互いにケイタイで相手の位置を探ればよいという感覚なのだ。ほとんど、密林の中において無線でお互いを探知しあい、遭遇するというスタイルである。
 で、こういう感覚が一般化してくると、約束の相手はかならずケイタイを携帯していると決めつけられかねない。このケイタイ隆盛の時代においても私のようにまだケイタイ不携帯の者が、亡びゆく生物のごとく多少は存在していることを想像してくれないのだ。
 しかし、近くへ来たらケイタイで連絡を取ればよいという感覚は、ケイタイ不携帯者にとっては意味をなさない。たしかに「ちなみにこっちのケイタイの番号はですね……」と教えてくれているのだが、こっちにケイタイがないのだからかけようがない。おまけに、ケイタイ大流行のせいで、巷からは公衆電話ボックスが次々と姿を消しているのである。
 ま、時代に遅れをとっている当方に、半分は責任があるのだが、ケイタイ時代に抜け落ちてゆくさまざまなことがやけに気になるのだ。
 これは若い世代から手紙という存在が消えている傾向とからめて、しばしば指摘されてきたことだったが、言葉の世界の単純化がやはり気になる。電話が“何処か”ではなく“誰か”にかけるようになった切り換りが、この問題を生んでいるのだ。
 私などの若い頃は、たとえばガールフレンドの家に電話するときなど、最初に出る相手が誰であるかが分らない。父親か母親か、あるいは兄弟姉妹の誰かか……それを想像しながら緊張してダイヤル(これも古いね)を廻さなければならなかった。つまり、出た相手によって遣う言葉を選ばなければならなかったのだ。
 また、サラリーマン時代においても、他の会社につとめる友人に電話をかけたとき、出る相手が交換台、同僚、上司……によってやはり言葉を選ばなければならない。その電話のかけ方で、友人の会社における立場がヤバくなってしまうこともあり得るわけで、とにかく細心の注意をはらって電話をかけたものだった。
 ガールフレンドの家にかけた場合も、その電話のせいで好きな女の子との縁が切れかねぬのであり、やはり細心の注意をはらわざるを得なかったというわけだ。
 考えてみれば、私はそうやって目上の人や未知の人に対する言葉遣いをおぼえていったような気がする。私の青春時代でさえ、そろそろ敬語や丁寧語の正確な遣い方などが翳りを見せはじめていた。したがって、手紙や電話のときでもないかぎり、それをあまり意識せずに言葉のやりとりをする傾向がスタートしていたはずだ。
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 上司や先生に対する言葉遣いなど、むかしの人から言えば目茶苦茶な乱れ方になっていたにちがいない。手紙と電話はそういう相手に対する言葉遣いのレッスンをさせてくれた、唯一の世界だったのである。
 ところが、若い世代のコミュニケーションの道具から手紙が消え“誰か”にかけるケイタイの時代となった。ケイタイは直にかけたい相手につながるのだから、そこに言葉の選択や工夫など必要がない。「あのさあ……」でよいのだ。こうなると、若者の言葉遣いはつねにそんな感じになり、相手によってちがう言葉を遣うレッスンは消えてしまうというわけだ。
 こんな時代ゆえに、小泉首相のあの“言いっ放し”流の言葉遣いを、若者は“分りやすい”と感じるのだろう。たしかに、国会議員や学者が用いる、あの意味の通じにくい言葉からいえば、“言いっ放し”流には壮快感がある。
 しかし、文化としての言葉を思えば、それだけではあまりにも寂しいのだ。大リーグに行ったイチローの外交官のような空々しい言葉も虚しいが、新庄のレベルはやっぱり幼稚すぎて、そのあいだにもっと日本人らしく風通しのよい言葉遣いがあるのではなかろうか。
 そんなことを考えているとき、電車の隣の席の若者がケイタイを取り出し、相手が出ると「モシモシ、あのさあ、例の件どうする?」と始めた。そのあとの言葉は、例によって例のごとき若者言葉だったが、私は冒頭の“モシモシ”というセリフにかるいショックを受けた。“モシモシ”は、もちろん電話をかけるときの符牒みたいなものではある。だが、あらゆる言葉のしきたりを度外視し、“誰”と特定された相手に自分語で喋りかけているのに、“モシモシ”だけが化石のごとく残っている。そのことへのかるいショックだった。
 “モシモシ”など、現代人の日常語の中ではすでに死語である。定かではないが“モシモシ”はたぶん、電話が始まった頃の「申す! 申す!」からきたのではなかろうか。そんな古色蒼然たる言葉を自分流の言葉でしゃべる若者が、当然のように遣っている。
 こんな混乱を発見すると面白くもあるが、やはり世紀末から新世紀初頭の混乱の風景は、まだまだつづくのであろうという、寒々しい予感がはしるのもたしかなのである。

村松友視(むらまつ・ともみ)
1940年、東京都生まれ。慶應大学文学部哲学科卒業。出版社勤務を経て、 文筆活動に入る。1982年『時代屋の女房』で第87回直木賞受賞、1997年『鎌倉のおばさん』で第25回泉鏡花文学賞受賞。主な著書に『私、プロレスの味方です』 『アブサン物語』『俵屋の不思議』『力道山がいた』『アブサンの置土産』『黒い花びら』『「雪国」あそび』『鰻の瞬き』など多数ある。演劇、スポーツに造詣が深く、活動のフィールドは広い。


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