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| 楢下街道の覗橋下を金山川が流れる |
楢下宿の楢炭保存会が作る楢の炭み |
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| 「楢下宿」という語感の響きに惹かれて、上山までやってきた。楢下宿は、羽州街道を宮城県側から山形に入るとき、七ヶ宿を経て、難所である金山峠を越えた最初の本陣を中心とする宿場であった。この街道を楢下街道ともいった。楢下宿のほぼ中央の小高い丘の上に、宝暦3年(1753)に建立された浄休寺がある。一段高い鐘楼から下町へ通じる上町風景を眺めた画家の向井潤吉氏は、「楢下宿は、ゆるい勾配の道をはさんで、両側に続く家は、頑なに寒冷の風土に抵抗するように、また諦めたようにも受け取れる静かな姿勢で並んでいる」と書いている。 | 楢下街道筋には、茅葺き屋根の民家が点在し、本陣、問屋であった塩屋をはじめ、脇本陣や旅籠の旧家が江戸時代のまま保存されていた。「吊し柿すだれなしつつ窓を占む」(和地清)楢下街道にかかる関根地区の土蔵や民家の軒先には、窓をふさぐように、紅い柿が吊るされていた。柿すだれ、柿暖簾、ともよばれる吊るし柿は、上山の晩秋を飾る風物詩であり、季語にもなっている。農家の軒先には、紅い吊し柿とは対照的な白い大根が、これも暖簾のように干してあった。柿の匂い、大根の匂い、どれもこれもかつて日本の農家で見られた原風景が、静謐な時間の中にひろがっていた。 |
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白壁の土蔵の軒先に吊るされた柿暖簾の紅色は、夕日の中でなお一層紅く、いかにも日本の秋の色、という感じで輝いていた。柿暖簾で知られる上山関根地区の入り口に、国の重要文化財に指定されている旧尾形家住宅がある(写真左)。尾形家は代々庄屋をしていた家柄で、現在の当主は72代目。建てられた年代は定かでないが、中門造り曲り家の大型民家の茅葺き屋根の建築様式から、17世紀の築と推定されている。上山は温泉の街で知られているが、郊外の家並みは、晩秋から冬に咲く柊や八手のように、ひたすら控えめに、地味であるが、これぞ日本の原風景という感じで、旅人の胸を熱くしていた |
| 歌人・斎藤茂吉のふる里は 湯めぐり三昧の城下町 |
上山市は、蔵王国定公園の玄関口であり、鶴岡の湯野浜、会津若松の東山とならんで奥州三楽郷とよばれた温泉の町である。同時に城下町として、また羽州街道と米沢街道が分岐する交通の要衝としても栄えた町だ。 上山は、古くは「神山」と書かれ、また山形に対して「上の山形」ともいわれていたが、延文年間(一三五六〜六一)、この地を領した最上満長が上山氏を称したことから上山の地名が出たといわれている。 米沢から新幹線でおよそ30分。蔵王を間近に仰ぐ、こぢんまりとして落ち着いた湯の里という雰囲気が町中に漂う。 町でもっとも古いのが、上山城のあった月岡公園の北にある湯町である。この温泉は、いまから約500年前の長禄年間(一四五七〜六〇)に、肥前の僧・月秀が、鶴が脛の傷をいやしているのを見て発見したといわれ、“鶴脛の湯”とよばれていた温泉で、上山温泉発祥の地と書かれた碑が建っていた。 ほかに新湯、十日町、河崎、高松、葉山などの温泉があり、これを総称して上山温泉といっている。 近代的なビル建築の宿が多く、観光バスが横づけになっていたりするが、それにしては印象が至って穏やかに見える。 上山市には、誰でも50円で入れる7つの共同浴場(もちろん温泉)があり、旅人が気軽にふらりと入って、地元の人との裸の触れ合いができる。 落ち着いた湯の里の味わいは、こんな何気ないところにもあるのかもしれない。そして、どこから眺めてみても雪をかぶった蔵王連峰が特別に美しい。とくに「斎藤茂吉記念館」からの眺望は抜群である。 みちのくの出羽のくにに三山は ふるさとの山恋しくもあるか(ともしび) みちのくの蔵王の山はけさのあさけ 雪ぐもりつつゐるぞかなしき(石泉) みちのくを吾はおもひて山形の あがたの山もありありと見ゆ(白桃) みちのくのはらからおもひ雪ふぶく みちのく山を忘れておもへや(暁紅) 歌人・斎藤茂吉(一八八二〜一九五三) は、明治15年5月14日、山形県南村山郡金瓶村(現上山市)の農家、守谷家の三男に生まれる。そして明治21年(一八八八)、茂吉は、数え年7歳で生家の隣にある宝泉寺地内の金瓶尋常小学校に入る。 その生家も小学校も、いまも昔のままある、と記念館の女性に教えられ、すぐに金瓶に向かった。 三大東北競馬場のひとつ、かみのやま競馬場を過ぎ、そこから旧道(早坂新道)を左に見て須川の上にかけられた竜王橋を渡ると、もう金瓶である。「斎藤茂吉翁菩提寺宝泉寺塋城」の標木にしたがって本道から左に折れ、道を下っていくと、いきなり生家の守谷家が右手に現われた。 明治21年といえば、あの伊藤博文が総理大臣だったころのはず。鹿鳴館だってまだまだ現役の時代だ。その当時の生家が、そして隣には木造の金瓶小学校が、かつてのまま、そこにひっそりと残されていた。 さらに隣が宝泉寺である。 入り口の案内図のとおり、山門から本堂に向かって左側が墓域となっている。茂吉の墓は、そのいちばん奥に妙に明るく立っていた。足元には馬酔木、後ろには、生前自ら植えたというアララギの木が枝を繁らせていた。 『アララギ』とは、明治41年(一九〇八)、伊藤左千夫と共に創刊した歌の雑誌名であり、『馬酔木』は伊藤左千夫の主宰していた雑誌名でもある。 たましひを育みますと聳えたつ 蔵王のやまの朝雪げむり(小園) われ一人とおもふ心よ雪ふれる 白き蔵王もけふ見えなくに 茂吉が郷土を想って歌った歌は実に数多い。それも啄木の歌や室生犀星の詩のような故郷を遠くにありて想うもの、というような歌ではなくて、ほとんど全身全霊、思慕そのもののような歌ばかりである。 |
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| 江戸情緒漂う楢下宿は 時計をはずして歩きたい |
茂吉記念館をあとに、上山から金山峠へと続く県道13号線をたどり、旧羽州街道の宿場、楢下宿を目指す。街道は七ヶ宿を越えて、さらに宮城へと至る主要道である。 楢下宿は、江戸時代は新庄藩、庄内藩をはじめ、奥州内の実に13藩が参勤交代の宿駅として利用していたところだ。 古い民家は現在10軒ほどしか残っていないが、家並みに旧街道らしい匂いが漂って、秋の色濃い紅葉に包まれた茅葺き屋根の家々が旅情を誘う。 家々の軒下には、ずらりと干し柿が吊るされ、いっそう旅の気分を引き立ててくれる。夜なべで皮むきされた紅柿は、日ごと味わいを増し、やがて白い粉にくるまれて紅吊るし柿となる。 北端には脇本陣の滝沢屋(丹野家)が文化財として保存公開されているが、街道や宿場の趣を味わうためには、1本西を走る旧道を歩くのがおすすめである。滝沢屋から上山方向に少し戻って右に折れる。すぐに石造りのめがね橋がある。 橋の竣工は明治13年(一八八〇)。斎藤茂吉が生まれる2年前だ。長さ約15メートル、幅4.4メートル、アーチの高さ4.4メートル。小さいが、それだけに美しい形である。 ゆったりと往時を偲ばせて、まるでここだけ時間が止まってしまったような、静かな里の晩秋を隅から隅までじっくり味わった上山の旅であった。 |
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アクセス ●東京駅から山形新幹線でかみのやま温泉駅まで2時間40分。仙台からは東北新幹線福島駅経由で1時間。 ●空の便は千歳、羽田、大阪、名古屋から飛んでいる。山形空港からバスで40分。 ●楢下宿へは、かみのやま温泉駅前の山形交通バス上山営業所から赤山ゆきで20分、楢下宿下車。 ●斎藤茂吉記念館へはJR奥羽本線、斎藤茂吉記念館駅前下車してすぐ。 ●お問い合わせ先 上山市観光課 TEL:0236(72)1111 |