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| 低成長時代の暗雲をふり払った ザ・グレートの誕生 たちまちシェアのトップに 昭和58年7月、ふそう大型トラック“ザ・グレート”が誕生する。 わが国は、2度にわたるオイルショックを乗り越えてきた。しかし、大型トラックの出番はなかなかやってこなかった。そこで三菱ふそうでは、低成長時代に合った徹底した大型トラックの開発を追求し始めた。 その結果、FT、FU、FVなどFシリーズのすべてを10年ぶりにフルモデルチェンジし、大型トラックとして初めて愛称をつけた“ザ・グレート”を発売したのである。 ザ・グレートは「費用のかからない稼げる車」として、燃費低減策を徹底的に追求する一方で、「使いやすい車を」目指した。 つまり、乗り心地、居住性、運転操作性、視界の改善、あるいは安全性の向上などを図り、さらに公害規制、安全基準への対応を時代を先取りして改善した。そしてユーザーに選ばれる車として、スタイリングは画期的なものとなった。 エンジンは、昭和58年排出ガス規制適合のインタークーラー付きターボエンジン6D22T2型と6D22T4型などのBIG11TURBOシリーズの新設が注目された。いずれも燃費効率を高め、トルク特性を向上するなど、画期的な性能アップが評価された。 こうしてザ・グレートは、低迷を続ける大型トラック市場の暗雲を一気にふり払って、翌年8月には、早くも大型トラックのトップシェアを記録したのである。 続いて同年9月、ザ・グレート第2弾として8tクラスFP‐Rトラクタ、8tクラスFP、9tクラス低床FN、10tクラスFSの23機種を発売。第3弾は同年11月にFUダンプとFVトラクタを追加した。 昭和59年1月に第4弾、FTフルトレーラトラック、FVダンプ、FVポールトレーラトラック、FR除雪トラックなどを発売。かくしてザ・グレートシリーズは、合計87機種のワイドバリエーションが展開された。 |
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ファイターシリーズ誕生 続いてファイターミニヨンも 昭和59年2月、中型トラックFKシリーズと大型FMシリーズをフルモデルチェンジし、「ふそうファイター」の愛称で発売。ふそうトラックの代表の一つとなる「ファイター」の歴史的誕生だった。 ファイターシリーズは「ユーザーに選ばれるトラック」であることを目指して、 続けて5月、中長距離輸送用トラクタと空気・板バネ複合式エアサス車、そして荷台の低床化が図れるTボーン車を追加した。60年にはファイターFK415Jが、通産省認定のグッドデザイン(Gマーク)商品に選ばれた。 昭和61年、新シリーズ”ファイター・ミニヨン“が誕生する。ミニヨンとは仏語で「小作りで優美な」という意味であるが、「ミニ4トン車」の語呂を合わせて名づけられたのである。 ミニヨンはファイターのシャシと小型トラック・キャンターのキャブを組み合わせ開発され、名前の通り 小型トラック・キャンターは昭和60年、7年目のフルモデルチェンジを実現して、さらに評価を高める。 キャンターについては7月号に特集したので、記述を省略させていただく。 |
三菱ふそう2階建てバス エアロキングの歴史的誕生 高級観光バスのイメージとして定着したエアロバスは、さらにバリエーションを加えながら進化する。観光バス業界の競争がますます激しくなった一つの象徴が、2階建てバスの出現だった。 2階建てバスは、古くから英国のロンドン市内の名物だった。昭和40年、東京・晴海で開かれた英国博覧会に出品され、会場への送迎用バスとして人気を博したのが、日本の初お目見えだった。 昭和56年までに270台が輸入されたが、メンテナンスの面から国産車の要望が強くなっていた。 三菱ふそうでは、早くからエアロバスをベースに開発に取り組み、昭和58年のモーターショーに三菱ふそうダブルデッカバス・エアロキングとして出品。昭和60年1月に、いよいよ発売となった。 この2階建てバスMUシリーズ“エアロキング”は、基本仕様としてA、Bタイプがあり、Aは定員64名、Bはサロン室付き60名。 エンジンは380psの8DC9T型を搭載し、後2軸式で後々輪はセルフステアとし、空力特性を配慮したダイナミックなスタイリングと相まって、性能面でも高い評価を得たのである。 しかし、日本では法規上が全高3.8mに抑えられているため、居住性に多少の難があると、その後伸び悩む。ところが、やがて都市間高速バスの隆盛とともに輸送効率が見直され、再び注目されていくのである。 一見2階建てバスのように見え、また視界、居住性に優れ、より安全に長距離高速性能を発揮できる快適バスとして開発されたのがスーパーハイデッカだった。 昭和59年、エアロバスをベースに210mm高くしたスーパーエアロT型、U型を発売。翌60年には後2軸MUシリーズのエアロクイーンWを発売。 東京―大阪間のJRドリーム号など、長距離高速路線に数多く採用された。 さらに高速道路網の整備、瀬戸大橋の開通によって、日本列島は1本のラインでつながり、夜行便による都市間高速バスがブームになる。そこに登場したのが、昭和63年の後1軸のスーパーハイデッカ車“エアロクイーンM”だった。 同時にエアロクイーンMの全面スタイルを採用したハイデッカ“エアロバスM”も発売され、評判になった。 かくして長距離高速性に優れたエアロバスシリーズは、高く評価され、日本列島を走ることになる。 |
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