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| 「白秋とともに泊りし天草の 大江の宿は伴天連の宿」吉井勇 |
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| 明治40年、「五足の靴」紀行で、北原白秋、木下杢太郎らと天草を訪れた吉井勇の歌碑が、下島の大江天主堂教会入り口に立っている。白秋は処女詩集『邪宗門』で、杢太郎は『天草組』で、異国情緒にあふれた天草の旅を詩に残して、世に天草を紹介した。天草の風景は、どこか懐かしい。大矢野島、上島、下島を中心に、大小120あまりの島々が散在する。1966年、九州本土と島が5つの橋で結ばれた。天草パールラインである。ロマンあふれる島々は、こうして身近になった。しかし、十字をかざして戦った、わずか16歳の天草四郎と、仏教徒を装いながら、ひそかに「経消し」のオラショを唱えつづけた、隠れキリシタンの悲哀の歴史を秘めた「祈りの島」でもあった。 | ||||||||||
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上天草市松島町の千巌山は標高162m、国指定名勝である。奇岩、怪岩の細い瓦礫の道を登りきると、頂上からの眺めは絶景。岩の間には古松や三つ葉ツツジが群生し、眼下に大小さまざまな島々と天草五橋が眺望できる。また天草四郎時貞が天草・島原の乱出陣のとき、この山頂で祝宴を開き、杓子で酒を酌み交わしたと伝えられ、昭和8年までは「手杓子山」とよばれていた。下の写真は、まだ2月初旬だというのに、千巌山麓には100万本という菜の花が、すでに満開だった。ひと足早い南国の春である。総合センターアロマ付近。 |
| キリシタン・ロマンの 神秘なる島を一周する |
天草諸島は熊本県の西、海上に浮かぶ大小約百二十余の島々である。東と南は八代海、北は島原湾、西は外海の荒波が打ち寄せる天草灘に面している。 昭和四十一(一九六六)年に完成した天草五橋のおかげで九州本土と結ばれ、長崎と熊本・南九州のルートの中継地にもなって、行楽客の訪れも多い。八代、水俣、島原などからのフェリーボートがあるので、車がとても便利である。 天草五橋とは、宇土半島の三角から、大矢野町、永浦島、大池島、前島をへて、上天草の松島町合津までかけられている五本の橋で、この間、全長十七・四キロが“天草パールライン”とよばれる快適なドライブコースになっている。 天草諸島の北端、大矢野町は、いわば天草の表玄関といってもよいのだろう。まず、まっすぐに天草四郎公園へむかう。 天草が、近世初期、天草の乱(島原の乱)の舞台となったことはよく知られているが、先に、天草四郎(一六二一〜三八)という伝説と謎に包まれた十六歳の美少年のプロフィールを、ぜひ知っておきたい。 本名は益田四郎時貞。素性については不明なところも多いが、天草大矢野島に生まれる。 寛永十四(一六三七)年、天草の乱が起こると、農民たちに推されて十六歳で一揆軍の首領となった。島原の原城(長崎県南高来郡南有馬町)に立てこもって、徳川幕府の討伐軍と激しい戦闘を展開するも、九十日間の籠城後、翌、寛永十五年、敗死している。 三角から国道266号を下り、ちょうど宮津の浜を抜けたあたりに、国道の左側に公園がある。公園の裏手の丘に、その天草四郎の像が建っていた。 この丘から西へ目をやると、天草四郎とキリシタン一揆勢が寄り合い、密談したところといわれる“談合島(湯島)”や、島原半島が海に浮かんでいるような雲仙天草国立公園の風景である。 天草上島の北端の入口は松島町である。ここは“天草松島”の絶景で知られる。もちろん宮城県の松島に似ているので、この呼び名がついている。 大矢野町と松島のあいだに前島、中島、瀬島、永浦島、樋合島、高杢島など、約三十の島々が点在する。ところどころに浮かぶイカダは真珠の養殖イカダである。 ぼくら撮影班は、ここで昼食をとる。観光客の姿もいちだんと多い。新鮮な魚介料理も、天草の旅の楽しみのひとつだ。ぼくは海鮮丼を注文する。 天草松島の全景を眺めてみようと、合津港のそばから標高百六十二メートルの千巌山にのぼる。国指定の名勝になっているだけに、さすがにその多島海風景は箱庭のように美しい。雲仙岳やフェリーボートが行き交う島原港も見渡せる。 天草上島を一周するため、国道324号を下島方向にむけて走る。右手が島原港である。 有明町から天草瀬戸大橋まではのどかな海岸線がつづいていくが、そのところどころに、キリシタン軍上陸の地や天草島原の乱発祥の地など、遺跡もずっとつづいていくのが、やはり天草である。 瀬戸大橋を右にして左折。今度は国道266号を松島町に戻るようにまわる。 栖本町、倉岳町、龍ヶ岳町とつづく。右手には不知火海が広がってくる。 |
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| 時代の荒波にのまれていった 十六歳のあまりにも悲しい運命 |
龍ヶ岳町は、上天草市の南東端部分と、その南の八代海に浮かぶ樋島、椚島、楠森島などの島々からなる町で、町の全域が雲仙天草国立公園である。 中央にそびえる龍ヶ岳(標高四百七十メートル)は、ここも国指定の名勝。天候に恵まれれば、遠く阿蘇、雲仙、霧島まで見渡せる。 姫戸町を過ぎると、スタートした松島町にようやく戻ってくる。これでグルリと一周である。 天草・島原の乱は、江戸時代最大の反乱である。 のちに“百姓一揆”とも、“キリシタン一揆”とも評価されるこの一揆は、十六歳の少年天草四郎を中心に、寛永十四(一六三七)年の秋から、およそ三万七千人の天草・島原領民が、原城に籠城して、幕府軍十二万六千人と相対し、翌年二月二十七日までの四か月にわたって抵抗したものである。 しかし抵抗はしているが、彼らは実はなにも要求をしていないのである。ただキリシタン弾圧に対して立てこもったのであって、公儀に抵抗する気はさらさらない、と訴えるばかりであったという。 当初、年貢減免の要求から発生したはずの一揆だったものが、次第に宗教的な祈りの一揆に変貌していった様子が見えてくる。 大矢野町にある“天草四郎メモリアルホール”は、この戦いの歴史的な意味について学ぶ歴史テーマ館である。マルチビジョンの大画面や、立体メガネをかけて見る3D映像、ジオラマなどを使って、その思いをいまに伝えようとしている。 天草下島にある本渡市立天草切支丹館には、キリシタンの渡来から禁圧時代の資料約二百点が集められている。展示品の中には、キリスト教禁制の高札や踏み絵など、興味深いものが多い。 歴史の荒波にのまれていった人びとの遺跡をめぐる旅は、“祈りの島”天草をなおいっそう身近にしてくれた旅でもあった。 天草の人たちの人情のこまやかさ、やさしさが、島のすみずみにまでゆきわたっていることが、グルッと島を一周しただけの旅人にも、すぐわかった。 |
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天草への交通 ●熊本空港から下島本渡市ゆき快速バス2時間10分(松島停車)。熊本交通センター( ●車なら九州縦貫自動車道御船ICより80分 ●お問い合わせ先 |