紋別市は、世界に例のない砕氷スクリューで突き進む流氷観光船
ガリンコ号で有名。その西紋地区唯一の公共交通機関のバス会社は、
社員が株主、異色の経営
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車両はすべて三菱ふそう車。理由がある。昭和30年代、経営が苦しかったときにいろいろと支えてくれたからだ。それ以来ふそう一筋だという。一連の不祥事が続いたが、問題があればメンテナンスもきちんとやってくれるから安心しています。乗り心地のよさは乗客も乗務員も知っていますよ、と大森社長。写真上は滝上芝ざくら公園。

オホーツク海の流氷観光船ガリンコ号で有名な北海道紋別市の面積は、830.36平方キロメートルと道内3位の広さである。あの広い岩手県の約半分に匹敵する。しかし、鉄道は走っていない。この広大な西紋地区の公共交通を一手に引き受け、奮闘しているのが北紋バス株式会社(本社・紋別市元紋別)だ。その北紋バスが、知床の世界遺産指定を追い風に貸切に力を入れている。ガリンコ号2をはじめとして、手つかずの大自然の感動を多くの旅人に味わってもらいたいという。都市間のカラーリングをオホーツクブルーに変えた。
VIVA AERO
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砕氷観光船のルーツは紋別市知床の世界遺産は追い風だ
 道東の夏は、避暑旅行の人気が高い。まして今年7月、知床が世界自然遺産に指定(P.3「知床」参照)されて、注目度は、さらに沸騰している。
 北海道の観光は、5月から10月の紅葉シーズンまでと、1月〜3月の流氷シーズンである。この期間は観光バスもフル稼働する。
 毎年1月中旬ころ、日本最北の海、オホーツク海沿岸に流氷がやってくる。かつて、海をおおいつくし、港を閉ざす流氷は「白い魔物」でしかなかった。この死の季節を「金」の観光資源に変えたのは紋別市だった。ガリンコ号である。当初「おほーつく」という名で、アラスカ油田開発作業用に水陸・氷上を移動できるように設計・開発されたものだった。
 昭和56年に進水し、さまざまな実験を終えると、紋別市が「おほーつく」を借り受け、「ガリンコ号」と名づけて観光船に改造。62年、冬期観光の主役としてデビュー。網走の流氷砕氷観光船より3年も早かった。
 ガリンコ号は、螺旋状の砕氷ローター・スクリューで流氷をガリガリと砕きながら突き進む。このような砕氷観光船は世界でも例がない。いまや紋別市の象徴になっている。
 いま、ガリンコ号2に代替わりした。総t数は初代の約4倍、定員も70名から198名に増えている。
 「流氷シーズンのサンライズクルーズは午前6時。美しさと厳しさが共存する光景に、観光客はみなさん息を呑みます。天気によっては年に数回、あの有名な四角い太陽が見られますよ」と大森社長。
 ガリンコ号は冬だけの航海ではない。夏は「釣り体験クルーズ」にも出る。高級魚の紋別マガレイが釣れる。10月の「イカ釣りクルーズ」も人気が高いという。そしてまた、紋別はガリンコ号だけではないのだ。
 「道東は手つかずの大自然が残る、深呼吸が似あう新たな観光エリアです。宗谷岬からサロマ湖まで200km。これほどの長さで平磯が続く海岸線は世界一なのです。
 いま、観光地盛りだくさんの詰め込み式ツアーは変わりつつあります。長期滞在型スタイルが定着し、何もないからいいという、新しい観光の提案もしていきたいですね」
 紋別から知床までは、サロマ湖や濤沸湖、小清水原生花園、ウトロ港や知床5湖など、見どころいっぱいのバス旅が楽しめる。北紋バスの貸切は代替えから順次、オホーツクブルーのデザインに変えていくという。

 

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写真 いま、ガリンコ号2は「オホーツク・ガリンコタワー(株)」が運営する。流氷シーズンだけでなく、夏の「釣り体験クルーズ」も人気があり、道内外から多くの太公望が訪れる。写真は豪快な水しぶきをあげるガリンコ号2とガリンコタワー。流氷は海の恵みとなるプランクトンを運んでくるだけでない。去るときは海の汚れを持ち帰ってくれる。そのときの海底まで透明になる海をぜひ見てもらいたい。別の海のロマンがあるという。


社員が株主だから連帯感も意気込みも違う
 北紋バスの創業は古い。紋別市の山中に、大正7年から採掘が始まった鴻之舞金山があった。東洋一の高品位金山だった。
 狭い谷間に住宅が立ち並び、学校、病院、娯楽施設などができ、1万2000人が住む鉱山の町になっていた。北紋バスは、この鉱山の社員や住民の輸送を目的に設立された。
 鉱山は第2次大戦中は休止するが、昭和24年、再開される。同時に北紋バスも設立され、以来、西紋地区住民の足として、56年間走り続けている。
 昭和48年、鴻之舞金山は閉山する。収入の3割を占める鴻之舞線の廃止は痛手だった。昭和40年、大資本の東急グループ傘下に入った。
 昭和60年、国鉄の民営化にともない、廃線となる渚滑線、興浜南線の「特定地方交通線代替バス」として運行を開始。平成元年からはJR名寄本線廃止の代替輸送も行なう。
 しかし、道内3位の面積を誇る紋別市も少子高齢化が進み、人口は、平成7年の3万2000人から、現在、2万7000人を割ってしまった。そして自家用車の普及が、路線バスの経営を圧迫した。
 この広い西紋地区を一手に引き受ける、唯一の公共交通機関であるが、バス利用状況はきびしくなっている。
 平成13年、東急グループから離脱。同時に会社の存続、地域住民の足の確保、そして社員の生活を守るために、社員が株主となって立ち上がった。新生・北紋バスは再出発する。
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大森社長(右から3人目)を囲んで、社員の皆さんと。
   
 当時、労組委員長が社長に就任するなど、世間から注目されたが、現在は大森社長である。希望に満ちていたが悲愴感もあった。しかし、全社員が「自分の会社」を再生するのだと必死だった。
 今年5月、路線に中型のノンステップバス3台を導入、3年計画で経営改善に力を注いでいる。

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大森 讓社長
北紋バス株式会社
●本社/北海道紋別市元紋別
●取締役社長/大森 讓
●設立/昭和24年
●社員数/57名
●保有車両/45台(乗合36台、貸切9台)


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