がんばってます

ゴミが「金」に化ける時代を誰が
予測できたか!時代の風を読んだ
社長がめざす社員の意識改革
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    早朝、仕事に出る前に全員が集合  

有限会社 舞鶴清掃社

有限会社舞鶴清掃社が本社を置く京都府舞鶴市の舞鶴港は、戦後13年にわたって、大陸から
66万人もの引き揚げ者を迎えた港として知られる。その様子を歌った「異国の丘」「岸壁の母」が
大流行した、ちょうど50年前の昭和30年、舞鶴清掃社が設立された。ここ10年、誰も彼も
廃棄物産業に参入する時代となった。ゴミがゴールドに化ける金鉱であることが証明された
からである。しかし50年前、いまの時代を誰が予測しただろうか。創業者である父親は当時、
市の職員だった。東京で貿易会社に勤める現社長をよび戻し、清掃業に賭けたのである。


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「お早うございます」が
意識革命の第一歩だった
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  オール三菱ふそう車になったのは昭和60年からである。
作業上いちばん大切なゴー&ストップが容易にできる
オートマチックが、3.5t車でも標準仕様で設定されたからである。
本来はオプションであったが標準仕様にしてもらったという。
以来、毎年2台ずつ増車してきた。
取材前日にも最新鋭装備の4tスケールパッカー車が納入された。
いい車だ、とその場で追加注文を出されていた。
作業に必要な装備には投資を惜しまない。
ISO14001は平成14年に取得。ISOの理念は社長の理念と重なりあったという。

   

 昭和30年以前、ゴミの収集は自治体が直接行なっていた。しかし、舞鶴市では市の赤字財政を解消するために、民間に委託することになった。
  創業した先代社長は、舞鶴市の職員だったが退職し、この事業化を引き受けたのである。市から一般廃棄物処理業の許可を受け、当時は三輪車だった2台の清掃車で業務を開始した。昭和30年のことである。
 舞鶴港には、まだ多くの引き揚げ者があふれる時代だった。一般廃棄物回収業といえば聞こえはいいが、一般家庭の残飯や生ゴミを集めるのが主な仕事だった。
 「汚い、きつい、危険」。のちに3Kということばが生まれるのだが、当然、若手社員のなり手がいなかった。「だから、帰ってきて手伝え」という父親のひとことで、東京の貿易会社に勤めていた現社長が、よび戻されたのである。
 昭和45年、舞鶴市が一般家庭のゴミ無料化を実施することになった。これにともない、委託から受託業務になったのを契機に、社長業を引き継いだ。
 「この事業をメジャーとまではいわないが、マイナー程度には育てたい」と、社長就任当時は意気込んでいたが、いちばんの問題は、社員の確保だった。3Kというイメージが染みついていた。
 だから、まず「世間の見る目を変えなくてはいけない」と、社長は考えた。そのためには「9万6000人の市民一人ひとりに訴えることより、ウチの社員たちの意識を変えさせることから始めようと思った」。発想の転換である。
 まず、収集先で「お早うございます」という、大きな声での挨拶を励行したのである。
 「なにしろ初めのころは、ゴミ収集車が行ったら、人が隠れてしまう。ほんまに、ゴミもっていくんか、と戸のすき間から様子をうかがっているような時代でした。
 それでも、人の顔を見たら大きな声で挨拶しなさい。そして、ありがとうございましたというお礼、それに、何かあればすぐに謝ることです。これを徹底させました」
 先方から挨拶してもらえるようになるまで、10年かかったという。いつしか、社員も市民も、ゴミ収集に対する意識が変わっていた。
 ここ10年に到っては、環境保護、地球温暖化への関心が高まり、使命感に燃えた若者や、学校からの就職活動を受けるようにまでなった。
 「それだけ、しっかりした企業だという認識をもってもらえている」と感じているという。半世紀にわたり、市民生活に密着した事業を続けてきた実績と、信頼の積み重ねがあったからである。


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右・プレスの押し出しなどボデー操作は運転席から行なう。
左・スケールパッカー車の計測器はハンディタイプ。一瞬に積載量を計測し、記録する
 
仕事を教え、人生を教える
資格取得を全面的に支える

 意図せずメジャー業種になったが、社員の意識革命の教育は、いまも続く。社員の朝は早い。7時就業であるが、社員たちは、30分前には出勤して、自分の車の点検と整備を、毎日欠かさず行なう。
 そして、朝礼。社長はここで一人ひとりに指示を与え、時代の流れを説く。
 「新聞は1面から読め。政治、経済に関心をもたせる。そして、仕事を教えながら人生を教える。だから、少しでも勉強して資格を取ることを奨励しています。
 資格をとるために、費用も交通費も出している。資格を取ったら、1つにつき1万円の手当てを出している。資格取得を全面的に応援しているのです」
 大型車や危険物取り扱いに関わる資格は、順次、取得させている。公害防止管理者、環境計量士などから社会保険労務士などの資格取得までも奨励する。
 目標をもって学ぶことは、社員の意識が高まるという。これこそが意識革命であろう。
 今年8月に大阪で広告代理店に勤めていた長男・暢夫さんを「俺も長いことないよ、帰ってこい」と、呼び戻した。暢夫さんは次長の肩書きである。
 「未練はありません」と、暢夫さんはきっぱりいう。
 「まったく違う業界にいただけに、仕組みの違いも面白い。だから、これを続けると覚悟しました。
 ゴミの出し方や他社のやり方を見ていると、遅れているところ、進んでいるところの差が大きいことがわかります。廃棄物問題は、まず地域からしか動かせないと思いました。事業を通じて、楽しく過ごせる世の中をめざしたい」
 暢夫次長の頼もしい後継者宣言である。

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中野健太郎社長
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中野暢夫次長
有限会社 舞鶴清掃社
●本社/京都府舞鶴市字溝尻
●設立/昭和30年
●代表取締役/中野健太郎
●社員数/28名 ●保有車両/23台

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