逆さメガネの好奇心 連載 第69回

文・イラスト 松井効果の飛び火

 久しぶりにギックリ腰が再発しちゃってさ……私は、腰に手をやって、友だちにしかめ面を向けた。原因はあきらかに松井だった。松井とは松井秀喜選手、巨人からヤンキースに転身し大活躍の御仁だ。
 私は、松井選手が大リーガーとなって以来、時間があれば衛星中継を見ることにしている。イチロー選手に対してはそういう気持が起ることなく、他の日本人選手の活躍もさして気にならないから、日本人選手の活躍を注目しているのでないことは明らかだ。あるいは、私がかつて巨人ファンだったことに関わるのかとも思ったが、そうでもないらしい、とにかく松井なのだ。
 私は、イチロー選手は大リーガーに転身して大活躍だが、大リーグでの彼の仕事は、家を建てることにたとえるならば、左官屋のごとき世界だという気がする。つまり、壁を塗る天才の左官が、本場の壁塗り職人を顔色なからしめているというイメージだ。
 では、それに対して松井選手はどのような役かというならば、つまり大リーグの大黒柱や床柱をつくる職人というイメージなのだ。その役が、常勝を義務づけられるヤンキースというチームの中で花開いている。どうやら私は、そちらのほうに惹かれるタイプであるらしいのだ。
 そんなわけで私は、大リーガーの松井にハマってしまった。それ自体は目出度い話なのだが、大リーグの中継時間は午前中が多い。たまに午前二時、午前五時などというときもあるが、おおむね午前八時か九時に試合が始まるケースが多い。私は大体において、午前十時半頃に起きてぼんやりテレビを見たりコーヒーを飲んだり……つまり午前中は仕事の時間というわけではない。となれば、仕事の邪魔にならぬ時間帯での大リーグ中継は私にとってうれしいかぎり。そこまでも、ま、目出たい話なのであります。
 ところが、松井選手にとって大リーグ三年目の今年の春、私はひとつの計画を立てた。松井ノートを一冊用意し、見ている試合に関して思い浮かぶことを書き記してみようと思ったのだ。いわゆるスコア・ブック的な野球ファンのノートではなく、自分勝手な想念を書きつけようというわけだ。
 そこで、今年はじっくり腰を落ち着けようと、ヤンキース観戦用のソファを用意した。そのソファは、いわゆるリクライニング・スタイルで角度を調節できるから、三、四時間の試合を見るのにはまことに便利だった。
 ところで私は、原稿を書き始めると電話でもかからぬかぎり、途中で休まないタイプである。したがって、電話やカミさんからかけられる声、あるいは宅配便の配達などは、私にとって休息の合図みたいになっている。
 そんな性格だから、大リーグの試合が始まると、かなりの集中力でテレビに向う。何かを感じればノートし、松井選手の打席などでは、一挙手一投足に神経を張りつめ、拳を握ったりを硬直させたりというありさまがつづくのだ。
 こんな状態を春先からヤンキースの最終戦までつづけ、ノートをくって数えてみたら何と私は百二十三試合をそうやって見ていたことが判明した。
 日本のプロ野球中継は夕方の七時開始が多く、私のような仕事をしている者にとっては、その時間帯にテレビを見るのは至難のワザだ。その時間は、たいがい外で打合せや食事をしているか、旅先での取材をこなしているのだ。したがって、松井選手が大リーグ進出を果すまでは、それほどの数の試合を見ることもなかったわけである。
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 で、その大リーグ観戦用のソファによる百二十三試合のテレビ観戦が腰にダメージを与え、かつてのギックリ腰を誘い出してしまったのだった。ソファには角度を変える装置がついているものの、試合が始まればそんなことに気がいくはずもなく、同じ姿勢で目をテレビに釘づけにしていたにちがいない。しかも、大リーグ観戦終了直後に、ある文学賞の選考があり、厚い本の候補作を五冊読む作業をこなさねばならず、これが腰のダメージに拍車をかけたのはたしかなことだった。
 ギックリ腰の再発というより、同じ姿勢の持続と冷えが原因だと、知り合いの医者に言われたが、あるかたちをとったときの痛さはかなりだった。
 新幹線の席から立ち上ろうとしたとたん、あまりの痛さにウギッ! と声をだして、通路をはさんだ老夫婦に怪訝そうな目を向けられた。終着の東京駅では最後に立ち上ろうと、近くに誰もいなくなってから腰を気にしつつゆっくり立ち上りかけ、どやどやと入って来た清掃係の人たちに不審の目を浴びたりもした。
 しかし、歩いているときは何ということもなく、ソファや椅子から立ち上るときに痛みを感じるくらいだから、だましだまし時を過せば治るだろうと思っていると、本当に一ミリずつくらいの感じで腰の痛みがやわらいでいった。ま、これも原因が松井選手と考えれば、何となくファンのひとつのかたちという気もして、気持は徐々に落ち着いていった。
 だが、冒頭に書いた友だちにそのてん末を報告したとき、彼から返ってきた言葉が、私にさらなる痛手を与えた。友だちはふんふんと小さくうなずきつつ私の話を聞き終ると、気の毒そうに私の目をのぞき込み、
 「あのね、ギックリ腰の再発って言うけどさ、それは加齢の場合は腰痛と言うのが正しいわけさ」
 同じ年齢のくせにやけに機嫌よさそうに胸を張って言った。ギックリ腰とも言わせてくれないのか、と私は余計な説明をする友達をうらめしく思った。
 第一、“加齢”という気をつかったあげく、その気遣いが妙にあらわに持続する言葉が好きになれない。これはいつ生れた言葉なのだろう。カレーライスを食べるたび“加齢”を思い浮かべた記憶などないから、たぶんいかにも現代的な新しい造語にちがいない。その腰痛はもはやすっかりなおったが、“加齢”という言葉のしこりは、まだの中でうずいている。松井効果が、妙なところへ飛び火したものである。

むらまつ・ともみ(むらまつ・ともみ)
1940年、東京都生まれ。慶應大学文学部哲学科卒業。出版社勤務を経て、 文筆活動に入る。1982年『時代屋の女房』で第87回直木賞受賞、 1997年『鎌倉のおばさん』で第25回泉鏡花文学賞受賞。 主な著書に『私、プロレスの味方です』『夢の始末書』『アブサン物語』『俵屋の不思議』 『黒い花びら』『男装の麗人』『贋日記』『永仁の壺』『幸田文のマッチ箱』など多数ある。 演劇、スポーツに造詣が深く、活動のフィールドは広い。


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