折々の小さな旅 1 京都府京都市伏見区  
京都・伏見
京の名水が湧く酒蔵の町
 
「稲荷寿司」や「すずめ焼き」「狐せんべい」を商う店が軒を連ねる参道を歩くと、 中央に朱色も鮮やかな社殿が現われてくる。 全国4万稲荷社の総本社・伏見稲荷大社である。 創建は奈良時代にまでさかのぼる。 「稲荷」の名は、農耕神に由来し、稲作の外敵である雀を焼き鳥にして供する店があるのは、そのためである。 伏見は、かつて伏水と書いたように、伏流水に恵まれ、堀が縦横にめぐる水郷の町だった。 京都を流れるすべての河川が集まり、淀川となって大坂湾に通じていた。だから内陸には珍しい伏見港が造られ、水上交通で賑わった。 その名残りが、三十石船が係留された公園として整備されている。そしてまた、伏見は、兵庫の灘と並ぶ酒どころである。 昔ながらの酒蔵の並ぶ町並みに、麹の香りが漂っていた。そんな疎水べりに坂本龍馬ゆかりの寺田屋が、歴史の生き証人として残っていた。
文・奥成 達 詩人・ノンフィクション作家   写真・吉岡 宏 写真家
 
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伏見稲荷大社。キツネと赤い鳥居でお馴染の稲荷神社の総本宮。創建は奈良時代の和銅4年(711)。 もともとは五穀をはじめとする食物の神であったが、近世になって商売繁盛の神様として、全国から大勢の参詣者がやってくる。 伏見稲荷の絵馬は、さすがキツネの顔を型どっていた。
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伏見稲荷大社本殿手前にある東丸(あずままろ)神社。 伏見稲荷大社の神官の子として生まれた荷田春満(かだのあずままろ)は、江戸中期、賀茂真淵、本居宣長、平田篤胤(あつたね)とともに「国学の四大人」とよばれ、いま学問の神様として祀られている。 東丸神社は、学問の神様にふさわしく、受験成功や学業向上を願う学生たちや父兄たちが、ひきもきらさずに千羽鶴を供えて願かけにやってくる。
 
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伏見稲荷大社の千本鳥居。本殿裏から伸びる鳥居のトンネルは、奥社をへて標高233mの山上まで4km続く。ハイキング気分で2時間はかかる。
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伏見稲荷大社本殿。明応8年(1499)の建築で、五間社流造り、檜皮葺き。正面の蟇股には牡丹唐獅子や唐草が彫られている。国重文。
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全国四万社の総本社。
千三百年の昔から商売繁盛、
五穀豊穣のご利益あり


 京の伏見といえば、兵庫県の灘と並ぶ日本の酒どころである。
 まだお正月気分が残るままに、厳冬の伏見でも、ゆったりと熱燗が飲めたらいいな、とひそかに虫のいいことを考えてやって来た。
 酒造りは、寒ければ寒いほどよいものができるときく。いま酒蔵では、まさに寒仕込みの真っ最中のはずである。
 伏見は、明治以前の記録には「伏水」とも書かれ、町のあちこちに清水が湧き出していた。この湧き水が御香水である。
 御香水は、いまの桃山御陵近くの御香宮神社の境内に、こんこんと湧き出ている。環境庁の日本名水百選の一つで、持ち帰り自由なので、いつも地元の人たちが水を汲みに来ている。
 当然、伏見の酒蔵は、この御香水の水系を使って醸造を行なっている。灘は硬水男酒(辛口)、伏見は軟水女酒(甘口)といわれる。
 酒を飲むには、まだ早すぎる時間だ。伏見を代表するもう一つのシンボル、伏見稲荷に、お参りに出かける。
 松の内が過ぎて、初詣というには少し遅い気もするが、それでも参詣者は、あとからあとから引きも切らずに押し寄せてくる。さすが庶民信仰のお山である。
 伏見稲荷大社は、全国に約四万社あるという稲荷神社の総本社になる。創建されたのは和銅四年(七一一)のことだ。
 和銅というと、奈良時代の年号である。あの『古事記』が完成したのが和銅五年なのだから、その古さは推して知るべしである。五穀豊穣、商売繁盛、開運の神として信仰を集めている。
 境内は広く、楼門や拝殿など、朱塗りの鮮やかな堂守が並んでいる。これから奥の院に向けて、一体いくつお参りをすればよいのやら、懐のお賽銭が気になるほどである。
 高らかに朗唱される神主の祝詞の声が、拝殿の奥から響き渡り、心地良い。 かすかに鈴の音も聞こえる。
 本殿の裏を奥に進むと、赤い鳥居のトンネルが現われる。これが千本鳥居と呼ばれるものだ。距離にしておよそ三百メートルだが、その数と色に圧倒される。
 この先、千本どころか、稲荷山の山すそ約四キロメートルにわたって朱塗りの鳥居が延々とつづき、その数、約一万基はあるそうである。
 信者の奉納する鳥居が、現在のように長くトンネル状になったのは、昭和の中ごろからだというが、朱の鳥居が間をあけずにぎっしりと建てられ、その閉ざされた空間を歩くというのは、一種不思議な気分にさせられてくる。
 鳥居は「通り入る」の訳だという説もあるが、こうした鳥居の奉納は、願いが通り入るという意味もあるという。
 お山めぐりの巡拝には、麓に戻るまで二時間以上はかかるというので、あきらめて途中から引き返すことにした。

 
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伏見桃山城。文禄3年(1594)、豊臣秀吉が晩年の居城として建てた城。 桃山時代文化の粋を集めていたが、元和6年(1620)廃城となる。昭和39年、旧伏見城の庭園に再築城され、遊園地になっている。
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御香宮神社境内に湧く御香水。1000年以上も昔、清泉の香りが四方に広まり、 その水を飲むと病が治るといわれ、御香宮の名がついた。現在も地下水が湧き、日本名水100選に選ばれている。
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月桂冠大倉記念館。創業360年の月桂冠発祥の地にある広大な酒蔵を改装し、酒造用具6120点を展示。 昭和60年、京都市指定有形民俗文化財に指定された。入館料300円。
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キザクラカッパカントリー。本店蔵を改造し、酒造りの工程を紹介し、黄桜のキャラクターや原画などが展示される。 黄桜の名の元になった、黄色い花を咲かせる鬱金(うこん)の桜が植えてある。
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寺田屋。江戸時代から続く船宿。慶応2年(1866)1月、坂本龍馬が止宿中、新選組に襲われたが、 宿の娘で恋人のお龍の機転で難を逃れた。当時の建物のまま、現在も営業中。刀傷や弾痕跡がいまも残る。
 
坂本龍馬の「寺田屋」は
いまも現役、営業中。
そして秀吉臨終の伏見城

 京都駅の観光案内所で「ザ・新選組」という小冊子をもらってきた。NHKの大河ドラマの影響もあるのだろうか、いまなお新選組の人気は高い。
 その小冊子の「伏見界わい」の頁に、坂本龍馬ゆかりの「寺田屋」があった。
 龍馬の恋人、お龍さんが、風呂場で異変に気づいて、全裸で飛び出し知らせたという、慶応二年(一八六六)の有名なエピソードのある宿である。
 淀川に注ぐ宇治川派流にかかる蓬莱橋のたもとにあり、いまも、現役の宿として続いているというのも凄い。あの寺田屋騒動が起きたのは、文久二年(一八六二)。ざっと百三十年以上もたっている。
 龍馬に急を知らせた、お龍さんが入っていた風呂場も、駆け上がった裏階段も、いまもそのまま残されている。
 寺田屋のあたりは、淀川三十石船の発着点だったところである。あの弥次さん喜多さんもここで船を降り、京都に入っている。伏見は、酒造りと淀川水運で商業の町として栄えていたのである。
 寺田屋の前から、月桂冠の大きな酒蔵が見える。黄桜酒造の記念館も、すぐそばである。
 伏見の酒蔵のほとんどが、京阪電車の線路と新高瀬川の間の狭い一角に集中しているのがわかる。
 昔、京阪電車が、京都―大阪間を開通するにさいして、市街地を通る電車を地下鉄にしようと計画していたのだが、京都市内の反対にあい、とうとう地下鉄にできなかったといういきさつがある。
 その大きな理由の一つはお酒にあった。
 六百年つづいた、伏見の酒造りの命ともいえる御香水の水脈が、もしや地下鉄工事で断たれ、枯渇してしまうことを一番恐れたからである。
 伏見の名が歴史に必ず登場してくるものに、慶応四年(一八六八)一月の鳥羽伏見の戦いがある。
 この年の初めから約一年半にわたって、旧幕府軍と新政府軍の間で繰り広げられた戦いを「戊辰戦争」という。これは、干支が「戊辰」であったところから名づけられたものだ。
 この戦争は、鳥羽と伏見とで、ほぼ同時に始まり、ご存じ新選組も幕府軍として参戦している。
 そして、豊臣秀吉の伏見城も忘れてはならない。廃城となった伏見城の大手門が、御香宮神社の表門(国重文)だそうである。
 「露と落ち露と消えにし我が身かな なにわの事も夢の又夢」というのが秀吉の辞世。亡くなったのは、慶長三年(一五九八)八月。場所は、前年に天守が完成した伏見城であった。



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宇治川派流。濠川(ほりかわ)を掘削したさいにいまの形になった。かつては宇治港があった。現在は疎水の水を宇治川に流す運河となっている。背景に見える建物は月桂冠大倉記念館。
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宇治川派流の弁天橋。江戸時代に旅人を乗せて伏見と大坂を結んだ十石舟乗船場。それを再現した十石舟が、春と秋、疎水を巡る。
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三十石船が係留されている府立伏見港公園。京阪中書島(ちゅうしょじま)駅南西を流れる宇治川派流河畔にある。景色も素晴らしく散策には最適。
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寺田屋の隣接地に建つ坂本龍馬の銅像。明治37年に建立。龍馬は幕末の志士として大政奉還を成功させたが、京都で幕吏によって暗殺される。小説やテレビ、映画に描かれて、あまりにも有名。
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鳥羽伏見の弾痕跡。慶応4年(1868)に勃発した鳥羽伏見の戦いで伏見奉行所周辺は激戦地となり、官軍陣地へ炊き出し命を受けていた料亭「魚三楼」の表格子に、いまも弾痕が残っている。
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長建寺。かつて中書島一帯は花街で、その中に建つ長建寺は花街の寺らしく、朱色の鮮やかな土塀を連ねている。伏見城の秀吉にも敬われていた。
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濠川と宇治川派流が合流する、であい橋畔に角倉了以(すみくらりょうい)水利紀行碑が建つ。了以は高瀬川、富士川、大堰川などの開削も行なった。

MAP 伏見への交通
●京都駅を起点に目的地によって京阪電鉄本線、JR奈良線、近鉄京都線を利用する●伏見稲荷大社はJR奈良線稲荷駅が一番近いが、京阪本線伏見稲荷駅からでも徒歩5分だ●寺田屋や伏見の酒蔵へは京阪電鉄伏見桃山駅または中書島駅が便利●お問い合わせ先 京都市観光協会075・752・0227


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