折々の小さな旅 9 長崎県五島市  
五島・福江島
東シナ海の黒潮が流れるただ中に浮かぶ九州で最後に夕陽が沈む島… 
 

五島列島は九州本土から100km。東シナ海の黒潮が流れる、ただ中に浮かぶ島嶼からなり、旧藩時代は宇久、中通、西(若松)、奈留、福江を指していった。有人島と無人島を合わせると総数141。その島々が南西から北東の方向に累々と連なり、平戸との境界まで達している。平成16年、島々は合併して新上五島町と五島市の2つの地名だけに整理されてしまい、なんとも味気なくなってしまった。やはり合併以前の中通、若松、奈留、久賀、福江の五主島を指して、五島列島とよばれていたときのほうが歴史的背景もわかりやすく、ロマンがあった。五島市は奈留島、久賀島、福江島が合併して誕生した。福江島は列島の最西端に位置し、東西45km、南北30km、列島の中で面積が一番大きな島であり、政治、経済、文化、観光の中心地である。長崎港からジェットフォイル直行便で80分。飛行機なら、長崎空港から30分。福岡空港から40分の距離だ。そして何より、九州で最後の夕陽が沈むといわれる島は、歴史と感動の連続が待っていた。

 
文・木代 圭 エッセイスト・植物写真家 写真・吉岡 宏 写真家
 
写真 写真
写真
写真
1 福江城(石田城)跡。黒船来襲に備えて、嘉永2年(1849)から15年の歳月をかけて文久3年(1863)に完成。五島藩主の居城。三方を海にかこまれた日本で一番美しいといわれた海城だったが、明治維新にとり壊された。現在、本丸跡は県立五島高校。
2 福江港ターミナルに浮かぶ常灯鼻。弘化3年(1846)の完成で、防波堤と灯台の役目を果たしていた。
3
江戸時代の面影を残す武家屋敷通り。寛永11年(1634)、五島各地に散在していた豪族と藩士を福江に移り住まわせた。その古い武家屋敷と石垣が、いまも400mにわたって残っている。
4 福江城三の丸跡に建つ五島観光歴史資料館。五島列島の観光名所や遣唐使、倭寇(わこう)、キリシタンや仏教文化などの歴史資料が展示されている。
 
写真
5
〜
6

堂崎天主堂。明治6年(1873)に禁教令が解かれ、同12年に木造の教会が建てられた五島最初の天主堂。明治41年に、現在のレンガ造りの教会が完成。外観はイタリアから運ばれたステンドグラスや赤レンガでゴシック様式。6は入り江から見た堂崎天主堂。
写真
 
UFOの基地と遭遇か!?
突然出現した緑色の丸い山と
幻想的な黒い海岸


 長崎港大波止ターミナルを出航したジェットホイルは、約80分で福江港に入った。最初に出迎えてくれたのは波止場に浮かぶ常灯鼻だった。
 常灯鼻は、弘化3年(1846)、船が安全に停泊できるようにと作られた、防波堤であり、灯台でもあった。船を降りると、県立五島高校が目に入ってきた。
 五島高校は福江城、別名・石田城本丸跡に建っている。一万二千六百石五島藩主の居城だった。黒船襲来にそなえ、文久3年(1863)、江戸幕府が最後に築いた城である。城壁の三方が海に面している、わが国ただ一つの海城だった。
 しかし、15年の歳月をかけて完成した海城も、1868年に明治維新を迎え、わずか5年で解体されてしまった。
 雲が走っている。季節は9月に入ったとはいえ、まだ残暑が厳しい。まして九州最西端の福江島は、夏の盛りだった。
 昼の光が石畳を灼き、道端の燃え立つような真紅の葉鶏頭を灼き、緑陰が濃く揺れていた。それでも雨上がりに、びっしりと純白の花びらを茎のてっぺんに咲かせる玉簾を、草むらの中に見つけたとき、季節の移ろいを感じることができた。
 福江港の南部に位置する景勝地、鬼岳をめざした。県道を抜けると樹海が広がってくる。その先になんとも奇妙な「形」が現われてきた。緑のお椀を逆さにしたような円い山だ。UFOの基地と遭遇したのではないか、と思うほど異様な光景だ。それが標高315mの鬼岳だった。
 全山が緑の芝生におおわれ、西海国立公園のシンボルになっている。その鬼岳火山から流出した溶岩が、海に流れ込んで、できた黒い溶岩の海岸が鐙瀬溶岩海岸である。
 青い海と対照的に、黒い海岸が十数kmも続いている。これはハワイの火山活動と同じ玄武岩質の溶岩だと、鐙瀬ビジターセンターに説明があった。200万年前の火山活動でできた溶岩跡だという。
 「黒い海岸と青い海。それを手前に入れて緑の鬼岳を撮れればトップ写真が飾れる」と、勢い込んで撮影ポイントに向かうカメラマン氏。
 だが、玄武岩の先は鋭角的に尖っていて痛くて歩けない。10m進むのに10分もかかっている。それを見かねて「あとについておいで」と地元の人が先頭に立って案内してくれた。ひょいひょいと忍者のように飛び跳ねていく。カメラマン氏は、ようやく1時間後にもどってきた。
 帰りの飛行機の窓から、幻想的なすり鉢状の鬼岳と長く続く黒い海岸を、もう一度目撃することができた。

 
写真 写真
写真
写真 写真
写真
7
全山が緑の芝生におおわれた鬼岳。標高315m、臼状をした美しい山容は、西海国立公園代表の一つで福江島のシンボル。大きな火口をもっているのが特長。市民の憩いの場になっている。
8
五島最古の木造建築の明星院。空海が唐(中国)の帰りに立ち寄り、唐で修めた密教が民衆のために役立つように祈願すると、翌朝、東の空に明けの明星が現われたことに由来する寺院。
9
鐙瀬(あぶんぜ)溶岩海岸から鬼岳を眺望。約200万年前、鬼岳噴火から流れ出した黒い溶岩が10数kmにわたって海岸を埋めつくしている。
10
大宝元年(701)に三輪宗として開基した大宝寺。だが大同元年(806)、唐から帰国した空海が真言宗の最初の道場として布教したことから真言宗に改宗。西の高野山といわれる。
11
〜
12

井持浦教会ルルド。明治28年(1895)、フランス人ペルー神父により創設11。南フランスのルルドからとり寄せられたマリア像が洞窟に収められ、ルルドから取り寄せた聖水が注がれる12
 
悠久の歴史ロマンと
隠れキリシタン哀話と…
堂々たる武家屋敷通りに感動

 五島列島の歴史は古い。人類が住みついたのは約2万年前だという。旧石器時代である。そして、縄文前期から弥生前期にわたるまでの遺跡が次々と発掘されている。
 五島列島は、古事記の「国生みの項」に記載され、万葉集にも歌われているという。遣隋使や遣唐使も福江島を最後の寄港地にしていた。五島は、とてつもなく大昔から日本の歴史に登場していたのだ。
 そして、仏教の教えを求めて大陸へ旅たった、あの最澄や空海が往還した最終寄港地でもあった。それはまた、大陸の仏教文化が、日本に初めて上陸したことを意味している。
 福江島の北端に、柏崎灯台と並んで空海記念碑「辞本涯」(最果ての地を去る)が建っている。空海が、遣唐船(804年)で命を賭して旅立った勇気と偉業を記念して建立されたものだという。
 福江島を旅するとき、ぜひ立ち寄りたいのは教会巡りである。数多い教会のほとんどが入り江の奥か辺鄙な場所に、目立たないように質素な造りで建っている。それは、烈しい弾圧と闘ったキリシタンの篤い信仰心の証明でもあった。
 堂崎天主堂は、久賀島と福江島のあいだを流れる田ノ浦瀬戸の奥浦湾の、さらに奥まった入り江に建っていた。明治6年(1873)に禁教令が解かれたあとの最初の天主堂で、五島カトリックの総本山として建てられた。
 明治41年(1908)、現在の赤レンガ造りの教会として再建された。いまは、隠れキリシタン弾圧の歴史資料館となっているが、それでも巡礼者が絶えないという。奈留島、久賀島、福江島を合わせた五島市だけで20の教会が建っている。
 福江島は中国・明国との交易も深かった。天文9年(1540)当時、東シナ海を舞台にしていた“海賊”の王直が、通商を求めて福江島にやってきた。財政的に苦しんでいた領主・宇久氏(のちの五島氏)は歓迎し、領地を与えた。
 王直は私貿易(闇貿易)商人であったが、それでも「日本にポルトガル船をひっぱってきたのは、王直であった。この意味で、王直は日本史上の重要人物といっていい」と、司馬遼太郎は『街道をゆく』の中で書いている。王直が乗ったポルトガル船が種子島に漂着し、鉄砲が伝来したのはこのときだったのである。
 福江島観光の一番のおすすめは武家屋敷通りだろう。武家屋敷通りといえば、鹿児島の知覧や出水、山口・萩や三重・松阪など、全国に数多く残っているが、これだけの規模で、保存状態がいいのは例を見たことがない。驚きだった。
 一般公開されているのは「ふるさと館」だけであるが、全長400mの武家屋敷通りの石垣は、溶岩塊を積み上げ、その上に「こぼれ石」といわれる小さな丸石を積み重ねてあった。
 これは敵に襲われたとき、投げ石となり、飛び道具に早変わりするのだという。門は、ほとんどが薬医門とよばれる堂々たる門構えである。雲の流れが早くなっていた。夏が逝く。夏の終わりの感動的な旅だった。何度でもきたいと思った。



写真 写真
写真
写真 写真 写真 写真
13

空海記念「辞本涯」の碑。空海が渡唐(中国)する際、日本最後の見納めになるかと、出航した三井楽半島の柏に建立されている。
14

明人堂。中国・明国(みんこく)の貿易商・王直ら中国人が、航海の安全を祈願する廟堂を建立。その跡が明人堂であるといわれている。
15

九州で最後に夕陽が沈む、最西端に立つ大瀬崎断崖の灯台。東シナ海の荒海に面した大瀬崎断崖に明治12年(1879)、白亜の灯台が立てられた。日本一明るい灯台で、光は50km先まで届く。
16

福江島内で最大規模のカンパーナホテル。五島バスグループが経営する都会的なアーバンホテル。Tel.0959・72・8111
17

囲炉裏焼きの椿茶屋。五島沖で獲れたての新鮮な魚介を、囲炉裏端で焼いて食べさせてくれる。伊勢エビの姿焼きは豪快。Tel.0959・72・2111
18

椿茶屋の下にある天然海水塩工房・椿窯(がま)。海水を釜で煮詰めて製塩。1tの海水(ドラム缶5本)から、わずか20〜25gの塩しかできない。約100種類のミネラルを含む塩は抜群の味だった。工房売店及び五島バスグループ売店で発売。
19

高浜ビーチ。コバルトブルーと白い砂浜が延々と続く天然の海水浴場。その美しさは日本一といわれる。日本の渚100選。

MAP 五島市福江島への交通●船で。長崎港大波止ターミナルからジェットホイルで80分。フェリーで3時間25分●飛行機で。長崎空港から福江空港まで30分。福岡空港から40分●空港から市内まで五島バスリムジンが出ている●お問い合わせ先tel五島市観光協会0959・72・2963


(C) 2005 MITSUBISHI FUSO TRUCK&BUS CORPORATION. All rights reserved.