悠久の記憶 世界遺産 アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群(フランス)
文・長浜淳之介 写真・風間岬二
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ローマ帝国期から中世の面影を残し、ゴッホの絵のモデルが市内に点在する街
アルルは、プロヴァンスがローマの属州だったころから中世まで、 南仏でもっとも栄えた古都である。旧市街には円形闘技場や古代劇場を はじめとするローマ遺跡、中世ロマネスク様式の教会などが残り、19世紀にゴッホとゴーギャンが共同生活を送った街でもある。 絵のモデルとなったカフェ・ヴァン・ゴッホ、跳ね橋などが市内に点在。 ゴッホがゴーギャンと破局して、耳をそぎ落としたあと、収容されていた 精神病院「エスパス・ヴァン・ゴッホ」などもあり、あわせて訪れたい。
1981年世界遺産登録。
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オベリスク(古代エジプトの太陽の神を象徴する石柱)のあるレピュブリック広場に建つロマネスク様式の傑作、サン・トロフィーム教会。中庭の回廊が美しい。


中世まで独自の歴史を刻みプロヴァンス文化を生み出す
 地中海をのぞみ、イタリアに国境を接するプロヴァンス地方は、地理的な条件により、古来からさまざまな民族が興亡する文明の十字路であった。
 先史時代には、青銅器文明の一環をなし、イベリア半島からイベリア人などが到来。紀元前1000年ごろには、東地中海より、フェニキア人が入植する。
 さらに紀元前7世紀には、ギリシャ人が、マッシリア(現マルセイユ)、ニカイア(現ニース)などの都市を建設した。
 紀元前2世紀には、ケルト系のガリア人が北方より侵入。ギリシャ人たちは、イタリアを統合したローマに援軍を求めた。その要請にこたえたローマは、プロヴァンスに進軍。
 紀元前123年、アクアエ・セクスティアエ(現エクス・アン・プロヴァンス)が将軍セクスティウスによって建設され、プロヴァンスにおける最初のローマ人植民市となった。
 紀元前118年、プロヴァンス地方はアルプス以遠で、ローマとしては初の属州となった。そしてアルルの円形闘技場や古代劇場、オランジュの古代劇場、水道橋のポン・デュ・ガールのようなローマ風の都市建築物が次々と建造された。
 ローマ帝政末期の5世紀には東ゴート、西ゴート、ブルグント、フランクなどのゲルマン民族が次々と侵入。西ローマ帝国滅亡後の6世紀には、フランク王国の領地となった。855年、シャルルがプロヴァンス王国を建国。首都をエクス・アン・プロヴァンスに置いた。
 しかし、イスラム教徒やノルマン人の侵入で領土は荒廃し、10世紀にはブルゴーニュ公国に併合される。
 そのブルゴーニュ公国は1032年、神聖ローマ帝国に属した。そうした中でも、プロヴァンスでは封建制確立と都市の発展により、ロマネスク美術、トルバドール文学などの独自の文化が興隆した。
 1309年〜1377年には、アヴィニョンに教皇庁が移転。イタリアをはじめヨーロッパ各地の文化がもたらされて融合し、15世紀前半にこの地を治めたルネ伯も、初期ルネッサンス文化を移植した。
 1481年、ルネ伯を継いだ甥のメーヌ伯がフランス王ルイ11世に領地を遺贈し、以降フランス領となって現在にいたっている。

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1世紀末ごろ建てられた円形闘技場。中世の初め要塞に改造されたが、19世紀に再び闘技場として再建された。2万人の収容力をもつ。イタリア以外に残るローマ闘技場としては最大。元々は3層構造だったが、現在は2層だけが残る。古代ローマ遺跡でも、いまだに復活祭のあとの5月から9月まで闘牛などが開催される。

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レピュブリック広場にサン・トロフィーム教会とならんで建つ博物館のような堂々たるルネッサンス様式の市庁舎。屋上に時計塔と鐘楼がある。
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ゴッホが収容された元市民病院の中庭。いまエスパス・ヴァン・ゴッホと名づけられ、総合文化センターに。ゴッホはアルルで200点以上の作品を描いた。
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ゴッホの名画「アルル、フォーラム広場の夜のカフェ」(クレラ・ミュラー美術館所蔵)の舞台は、黄色のカフェ・ヴァン・ゴッホの名で現存する。
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アルルでは毎年5月1日、伝統的な髪形に民族衣装で着飾った女性と、アラブ馬の混血といわれる白いカマルグ馬に乗った牧童たちの祭りが開かれる。
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ローヌ川畔にあるコンスタンティン共同浴場跡。損壊が激しい中で、当時すでに、サウナや床下暖房の設備が整っていたことがわかっている。
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紀元前30年ごろに建てられた古代劇場。17世紀に発見され19世紀に復元されたが、現在は「2人の未亡人」とよばれる2本のコリント式円柱が残るのみである。


水陸交通の要衝地としてアルルは南仏最大の都市だった
 さて、プロヴァンス観光に欠かせない街アルルは、マルセイユの北西約90キロメートルにあり、ローヌ川デルタ地帯の要に位置する。人口約5万2000人。市域はフランス最大の750平方キロメートル。
 古来より水運・陸上交通の要衝にあり、カエサルによって植民市とされ、395年にガリア近衛総督府が置かれるなど、西ローマ帝国の後期には、ガリア属州の首都としての地位を占めて繁栄した。
 アルルの旧市街は、駅から300メートルほど南下した、カヴァルリ門よりリス通りまで、ローヌ川右岸500メートル四方に納まっており、世界遺産に指定された古代、中世の遺跡が多数残っている。
 円形闘技場は、1世紀末に建設された長径136メートル、短径107メートル、高さ21メートルという巨大な施設で、収容人数は約2万人。60の2層のアーチで囲まれているが、元は3層構造だった。現在も闘牛場やオペラの会場に利用されている。
 古代劇場は紀元前30年ごろに造られ、当時は約1万人を収容した。座席跡、舞台跡、数本の大理石の柱が残るのみだが、劇場は、いまも重要な催し物の会場になっている。
 とくに毎年7月に行なわれるフェスティバルは有名で、オペラ歌手、ヴァイオリン奏者など各分野の一流芸術家たちが多数参加する。
 昔からの伝統的な祭りもここで催され、なかでもアルルの女王選びは、プロヴァンス地方全域から、地方色豊かな民族衣装をまとった人々が大勢参加して華やかだ。
 コンスタンティン共同浴場跡は、コンスタンティヌス帝時代の4世紀に造られた共同浴場だが、ドーム天井などに往時がしのばれる。
 アリスカンは旧市街の外にある、古代から中世にかけての墓地で、19世紀には石棺が並ぶ並木道を、ゴッホやゴーギャンが描いた。
 サン・トロフィーム教会は、中世ロマネスク様式が美しく残る教会で、7世紀に創建され、12世紀に現在のような形になった。凱旋門を思わせる入口上部の「最後の審判」をモチーフにした、栄光のキリスト像や十二使徒像の彫刻は必見である。
 回廊の円柱は、聖人たちや新約聖書の物語で見事に飾られている。


地図 アルル・ミニガイド
プロヴァンスはフランス旧州の1つで、南仏東部に位置し、イタリアに隣接、地中海に面する。独自の文化圏を持ち、イタリア語やスペインのカタルーニャ語に近いプロヴァンス語が存続する。プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地域圏に入り、首府はマルセイユ(人口82万人)。アルルへは、パリのリヨン駅より超特急TGVで約3時間50分。アヴィニョン駅からは急行で17分ほど。


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