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7 JUL.2008
VOL.43 No.453
新型キャンター&キャンターガッツ誕生
人や環境と共鳴する小型トラックでありたい
LIMITEDシリーズ誕生
即戦力トランスポーター、現る。
折々の小さな旅
(連載31)世界遺産熊野古道(和歌山県/奈良県/三重県)
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(有)笠井環境衛生社
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(連載28)
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Sports Essay Seijyun's Eye
(連載31)
悠久の記憶・世界遺産
(連載43)
がんばってます
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フェアウェイの旅人
ROUND2(連載11)
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物流誌上セミナー(連載2)
VIVA AERO
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こころとカラダが軽くなる
●簡単Aヨガ講座(連載3)
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●鈴康運送(有)
日本全国お立寄り探索ガイド(No.87)宮崎県
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折々の小さな旅 31 滋賀県近江八幡市沖島町
琵琶湖・沖島 万葉集にも詠まれていた世界でも珍しい「人の住む湖の島」の歴史ロマン
琶湖の面積は約670km2、滋賀県面積の6分の1を占める日本最大の湖である。奄美大島の面積に匹敵する大きさだ。その琵琶湖に浮かぶ沖島は、淡水湖に人が住む島としては国内唯一で、世界でも数少ない。世界で人が住む島はデンマークとスコットランドに1島ずつあるだけだ、と市発行の資料に書いてあった。沖島の面積は、1.53km2、周囲6.8kmに150戸、人口約450人が暮らしている。島民の80%が漁・農業に従事し、自給自足が原則だという。島には小学校と保育所、郵便局、そして酒屋が1軒。1社2寺と民宿が2軒。予約をすれば食事ができる店が2軒。そのほかに佃煮屋が1軒あるだけだ。もちろん信号はないし、車もオートバイも走らない。対岸の近江八幡堀切港と沖島を結ぶ定期船が、1日11往復する。島の中学、高校、大学生には通学専用の船「わかば」が用意されている。沖島に住む人たちの暮らしを訪ねると、万葉集にも詠まれている歴史ロマンが溢れていた。
文・花都 章 エッセイスト 写真・吉岡 宏 写真家
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1 沖島漁業会館前に渡し船(定期船)の発着する桟橋がある。近江八幡・堀切港と沖島漁港を約10分で結ぶ。料金は片道400円。島民は200円。
2 午後1時半を過ぎるころ、早朝に出漁した船が戻ってくる。ほとんど男一人で漁に出るが、時には夫婦で出ることもある。ゴリ(ウロリ)は佃煮に、ニゴロブナは琵琶湖名物フナ寿司の材料に欠かせない。
3 網は手入れをして湖畔で干す。色とりどりの網の美しい光景である。その前を、後ろにカゴがついた三輪車が通り過ぎる。
4 島の暮らしや歴史を語ってくれた西居さん。子どものころの体験から、室戸台風やジェーン台風に直撃されたときの話まで、貴重な話は興味深かった。ボランティアガイドをやっている。
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湖面を吹き抜ける風が優しかった。夕暮れの光りは、この土地特有のものだろう。その光りに触れてわかるような気がした。夕暮れのとばりの中に沖島が溶け込もうとしている。対岸の堀切港からサンセットに染まる沖島を望む。沖島漁港発18時10分の船影が近づいてきた。
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世界三大古代湖の1つ
460本の川が流入するのに
流出は瀬田川と琵琶湖疏水のみ

琵琶湖畔の堀切港で、沖島漁港と30分から1時間間隔で往来する定期船を待っていた。

脳裏に、いつか訪れた漁港が浮かんできた。しかし、目の前に広がるのは、まぎれもなく琵琶湖なのだ。あまりにも広大な湖と、堤防の内側につくられた船泊まりに、何十隻も係留されている漁船を見ていると、なおいっそう、海かと錯覚してしまうのである。


淡海のうみ奥津島山おくまけて
我が想う妹のことしげけく

万葉集に詠まれている柿本人麻呂の歌である。かつて琵琶湖は淡海(近江)とよばれていた。静岡県浜名湖が都(奈良、京都)から遠い淡水の海として遠淡海(遠江)とよばれていたのに対し、都に近い琵琶湖は近淡海とよばれ、近淡海が変化して淡海になったといわれる。

琵琶湖という名前は、江戸時代中期に琵琶の形に似ていることがわかってから、その名が定着したという。

奥津島は、昔は瀛津島と書いて、いまの沖島のことである。瀛は「えい」と読んで、大海、大海原という意味だと辞典に記されている。

沖島は、古くは大海に浮かぶ無人島で、琵琶湖の航行の安全を守る神の島といわれていた。恐れ多くて近づくこともできない厳かな島、と詠んだのは『源氏物語』を書いた紫式部である。


おいつ(奥津)島 守りの神やいますらん
波もさわがぬ わらわえの浦

紫式部は、琵琶湖畔の小高い山の上に建つ石山寺で『源氏物語』を執筆したと伝えられている。その部屋から遠く、琵琶湖に浮かぶ沖島を眺めていたのだろう。

琵琶湖は、400〜600万年前に地殻変動によってできた構造湖で、世界三大古代湖に数えられている。

ちなみに、シベリアのバイカル湖がもっとも古く、2500万年前に誕生した。琵琶湖の46倍の広さで透明度は世界一だ。世界遺産にも指定されている。もう1つは、タンザニアのタンガニーカ湖である。2000万年前にできた湖だ。

琵琶湖には一級河川21本をふくめて合計460本の河川が流入しているが、流出は瀬田川1本だけである。

正確には、京都市域の水道水として使用されるため、もう1本、人工の川・琵琶湖疏水が流出する。瀬田川は京都に入って宇治川になり、大阪では淀川と名を変えて大阪湾に注がれている。

最初に沖島に住みついた人は、保元・平治の乱(1156〜1159年)に敗れた源氏の落武者7人だった。その姓(南、小川、北、中村、茶谷、久田、西居)を先祖として、いまも後継されている。

文化2年(1805)の記録によると、戸数43戸、人口194人とある。昭和26年八幡町に編入されるまでは島村大字沖島村だった。平成の大合併で近江八幡市沖島町となる。

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7 奥津島神社。奥津島神社の鳥居は近江八幡の白髪神社から日牟神社に至る一線上に位置し、さらに冬至、夏至の日の出が重なるように計算されているという。古代人の知恵に驚くばかりだ。
8 願證寺(がんしょうじ)。沖島の住人、西居某が蓮如上人に帰依(きえ)し、法名を釈願證と授けられたことに始まる。
9 西福寺。源氏の落武者・茶谷重右衛門の末裔(まつえい)が蓮如上人に帰依し、庵を建てたことに始まる。どちらの寺も、湖が荒れて船が出ないときは、客人らの宿泊場所となる。
10 男子が生まれると各家の玄関先にお地蔵さんを安置して、子どもの守り仏にするという。女の子しかいない家は祀ることができない。
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軒を重ねるように建つ民家のあいだは、自転車がやっと通れるほどの路地で結ばれている。初めて島を訪れた人には迷路としか思えない。
13 出漁から戻ってくると、魚を水揚げしたあとは、すぐ網の手入れをして明日の漁に備える。網の色はさまざま。旅人にとっては美しい光景だ。

一家に1隻の船をもち
戦国時代の活躍で信長、家康
からもらった感謝状が誇り

沖島漁業会館前の桟橋に船が着いた。

この日は大暑だった。「暑気至りつまりたるゆへなればなり」と昔の暦は解説している。1年でもっとも気温が高い季節という意味だ。

真夏の光りを浴びて、夾竹桃が涼しげに、瑞々しく咲いている。

黄色、橙、赤紫、水色と色鮮やかな魚網が、花が咲くように干してあった。

「湖畔にまで山が迫っているから、猫の額ほどしかない狭い土地を大切に耕して、野菜や草花を育てているんです。沖島では、自家用車をもたないかわりに一家に1隻、船をもっています。でも高齢化が進んで漁に出るのはお年寄りだけです」

港でお会いした西居正吉さんから、島の歴史や島人の暮らしなどを伺った。

西居さんは、最初に沖島に住みついた源氏一族の4代目だという。シジミ、モロコ、ゴリ(ウロリ)、筋エビ、ニゴロブナなど豊富な漁体験から新聞、テレビの取材協力や著書『沖島物語』も上梓され、島一筋に生き抜いてきた人である。74歳になるというが、矍鑠としている。

「島のお年寄りは元気な人が多いです。朝5時半に漁に出て1時半ごろ戻ってくると、休む時間を惜しんで網の手入れをしたり畑仕事に精を出します」

先祖は島に住みついても、武士の精神は忘れていなかった。的場で弓の練習をし、剣術を磨いていた。戦国時代、織田信長の「手筒山の戦い」や「小谷城攻め」のときに、これらの戦いで活躍する。それによって信長から感謝状と漁業権の特権を付与された。

また、関ヶ原合戦後の家康による「佐和山城攻め」でも水軍として活躍。以後、時の権力者から、航路の警備などの重要な任務を務めた見返りとして、漁業権の特権は認められ続けたのである。

信長からの感謝状は、いまも残っていて、それが島民の自慢であり、誇りでもあるという。

しかし、かつて豊富だった琵琶湖のシジミや魚も、水質の汚染、外来魚ブラックバスとブルーギルの異常繁殖で生態系が狂い、漁獲量は大きく減っている。

それでも島民たちの表情に暗さはなかった。狭い畑でも豊饒な土地なのだろう。どの家の畑にもスイカやカボチャがゴロゴロと無造作に横たわり、トマトや茄子、キュウリも収穫を待つだけだった。

大切な狭い畑だというのに、半分は、赤紫色の花虎尾や黄色の大反魂草が咲き、浜木綿に似たクリナムが風に揺れ、色とりどりの花が溢れていた。島民には花を愛でる心のゆとりがある。それは先祖代々から変わっていない島の暮らしだ。

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14 琵琶湖のエリ漁。竹や木を網状に組んで張り立て、魚を追い込んで獲る魚法。小型定置網である。
15 タツベという琵琶湖独特のエビ獲り籠(かご)。竹で編んだ籠を1隻で1600個も使うという。
16 長命寺ヨットレースや沖島ヨットレースなど、年間10回ほどレースが行なわれる。
17 明治8年に開校した沖島小学校。沖島は滋賀県でもっとも早い時期に寺子屋が開設され、昼働いて夜間に教育を受けることができた。現在、生徒数は1年から6年生まで全校で7名。
18 漁から帰ってくると畑仕事が待っている。島の人たちは働き者だ。
19 島の主な交通手段は三輪車だ。後ろにカゴがついていて、子どもを乗せたり荷物を運んだりする。倒れることがないからお年寄りには安全だ。
20 沖島には「湖上荘 0748-33-9639」と「島の宿 0748-33-9521」の2軒の民宿がある。
21 沖島のゴミは全島民が交替で分別作業を行なう。分別されたゴミは近江八幡まで船で運ぶ。
22 通学船・わかば。朝は中・高、大学生を乗せて長命寺港へ。帰りに沖島小学校の先生を運ぶ。夕方は先生が帰った船で生徒が戻る。
23 1坪ほどの狭い畑でも必ず花が栽培されていた。千日紅など仏花として使える花が多かった。
地図 沖島への交通●東海道本線・近江八幡駅北口から近江鉄道バス休暇村ゆきのバスで堀切港下車、約35分●堀切港より沖島漁港まで定期船で約10分●お問い合わせ先tel近江八幡駅北口観光案内所0748・33・6061
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