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    レストアで蘇る、未来への好奇心

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傍から見たら、ただの古いバスかもしれない。でも、未来のローザを開発するためのヒントは、ここにある。

東京郊外にある閑静な住宅街。入り組んだ路地を抜けた先に、小さな駐車場がある。ここは、三菱ふそう国内販売・カスタマーサービス本部に勤務する小椋 慶にとって、秘密基地のような大切な場所だ。毎週末この場所を訪れる小椋を待っているのは、駐車場の片隅にひっそりと佇む1984年式の三菱ふそう・ローザ。26人乗りの小型マイクロバスで、外装は美しく磨き上げられており、丸みを帯びた愛嬌のある表情がノスタルジックな魅力を放っている。ローザは、ここで再び走り出す日を夢見ているのだ。

小椋が古いものに愛着を抱くようになったのは、中学生の頃、通学途中のごみ捨て場で偶然見つけた古いソニー製のラジカセがきっかけだった。「最初は何だかわからなかったんです。ダイヤルゲージがあって、ずっしり重くて。とにかくデザインにひと目で心を奪われて、こっそり家に持ち帰りました」

自力で修理を試みるも最初は上手くいかなかった。メーカーに電話で問い合わせると、製造は1972年で、すでに部品がないことを知り、ますます興味が湧いた。高校生になるとラジカセのコレクター仲間に出会ってさらに知識が深まり、昭和の古いオーディオ機器に再び命を吹き込む作業に魅了されていった。

「新車当時、このバスがどんなふうに動いていたのかを想像しながら作業をするのは、本当に楽しいんです」

 

新車当時の質感を再現する  「三菱ふそうに入社した時から、いつかは古いふそう車に乗りたいと願ってきました。車もバイクももちろん好きだけど、多くの人を乗せて走るバスに憧れて、ずっと探していたんです」。三菱ふそう・ローザの誕生は1960年。現在も進化を続けながら、送迎バスやスクールバス、コミュニティバスとして私たちの暮らしを支えている。人々に寄り添って働く商用車には「特別な魅力がある」と彼は言う。

2021年7月、長年探し続けたローザの中古車を中古車サイトで見つけて購入。前オーナーは群馬県で食堂を営むご夫婦で、顧客向けの送迎バスとして活躍してきた1台だった。コンディションは良好でも、外装や内装は年式相応。「外装はもちろん、内装のカビやヤニ汚れは素材が傷みにくいクリーナーを使ってひたすら磨き上げました。時計やラジオ、ヒーターの不具合など、壊れた電気系統は丁寧に分解して、今もコツコツと修理を続けています」

古いカタログを眺めながら、今あるパーツを可能な限り修理して組み直し、オリジナルの質感を再現するのが彼のこだわりだ。「新車当時、このバスがどんなふうに動いていたのかを想像しながら作業をするのは、本当に楽しいんです」

写真で見た父の愛車  レストアを自分自身で手掛けるのは、実はこれが初めてではない。1台目は、愛車である1975年式の三菱 コルト ギャランGTOだ。「父が若い頃に乗っていた車の写真を見て、同じ年式の同じモデルにいつか乗りたいと思っていました」

刺激的なデザインで人々を魅了した昭和の名車は、細部まで当時のまま再現され、「古いけど、とことん使える」状態が維持されている。過去、現在、未来が不思議なバランスで調和して永続的な時の流れを体感できるような、懐かしくて新しい乗り心地。工業製品でありながらアートとしての息吹を感じさせる。

小椋はレストアを通して、その車が開発された当時の文化や技術を学び、設計者や開発に携わっていた人たちの熱意に向き合って、ものづくりに想いを馳せる。

「車の安全性能は格段に進化しているし、時代に合ったものづくりがありますから、古いものがすべていいと思っているわけではないんです。以前ふそうでは、歴代のトラックをレストアする『ふそう名車復元プロジェクト』がありましたが、当時の技術が現在も生かされていることを知り、過去を遡る機会があっていい。未来に繋がる技術を創造するために、過去を体感できる機会を多くの人に与えたいんです」

純粋で前向きな想いを乗せて  いつか叶えたい夢だったローザのレストア プロジェクトを強く後押ししたのは、東日本大震災でのボランティア経験だ。大型二種免許を取得していた小椋は、被災地へボランティアに向かう人々を送迎するバスドライバーを8年間務めた。

復興支援ボランティアは瓦礫処理から被災者のケアまで幅広いが、ボランティアを現地へ送迎するドライバーのボランティアは事故のリスクもあるため、なかなか集まりにくかった。震災直後は、仕事を終えた金曜深夜に東京を出発し、3人のドライバーが交代で運転をしながらボランティアを送迎して、日曜の夜に東京に戻る日々を過ごした。

「自分に何ができるだろうと考えた時に、純粋に運転が好きだったし、復興を間接的にサポートをしてきたことを誇りに思っています。復興支援ボランティアで感じたのは、一人でできることは限られているということ。多くの人が助け合って、社会が成り立っていることを実感しました」

そこで出会ったのは「自分ができることで東北の方々の支えになりたい」という、純粋で前向きな想いを持つ人たち。ボランティアの送迎にはレンタカーが多く使われていたが、自家用バスを所有する人が「被災地のために自分のバスを活用してほしい」と積極的に申し出る姿に感化されて、夢への決意が固まった。

過去からやってくる未来へのヒント  こうして彼は、ローザと出会った。現在、2022年の車検取得を目標にして週末になるとここを訪れ、レストア作業に無心で向き合っている。「車検に通ったら、このローザに多くの人を乗せて走りたいんです。家族や友人とキャンプに出かけたり、同僚に見てもらったり、災害時はボランティアの役に立ったら嬉しい。傍から見たら、ただの古いバスかもしれない。でも、未来のローザを開発するためのヒントは、ここにあるんです」

古い車を新車のように復元するレストアへの注目は、今や一部のファンだけでなく一般にも広がっている。多くの人にとって、車が単なる移動手段以上の意味を持ち、特別な記憶や思い出と結びつくものであるからだろう。部品調達や修復技術の難しさだけでなく、初年度登録から13年を超えれば自動車税や重量税も引き上げられるなど課題も多い。

しかし、小椋がローザに注ぎ込む情熱は、ラジカセの修理に夢中だった中学生の頃から変わらない。彼がいるのは、自らの好奇心に従って、スキルを身に着けながら、人との出会いを広げる旅の途中。想いを共有する喜びを噛み締めて「次は何をしようかな」と笑いながら、挑戦は続く。